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ジョニーが少し笑った日 

あーあ、すっかり秋ですね。
いやだな。

というわけで!

すんげー、すんげー、久しぶりにこれ書いてますが‥
みなさんお元気ですか!

お元気ですね!
お変わり‥ ありませんね!

僕ら、相変わらず元気です。
ヤンフォは只今!レコーディングに向けてやんややんやの提灯で頑張っております!


まぁ、夏でしたね、この間までは。

いやんなるくらい散らかった部屋で、オリンピックを観たり
高校野球を観たり、池中弦太80kmを観たりして‥
この夏も泣いたり笑ったりしてるうちに、あっという間に終っちまいました!

そんで秋。
ヒュルルルル〜って感じで秋です。

と、言いつつも、今年の夏はいろいろと‥ まぁ、いろいろとありました。
心に留め置かなければならないことや、記憶に留めなければいけないこと

そして、このページに書きとめなければならないことが二つ、三つとありました。

ので‥書きます。

どうぞ、読んでみて下さいね!


 ■チャーリー&ザ・スリー・クール・キャッツ

最近、ヤングフォークスの活動をしつつも、お手伝いというか、客演というか
チャーリー&ザ・スリー・クール・キャッツというバンドで少しばかりベースを弾いていました。

マージー・ビート・バンドでベースを弾くわけですから‥
ポォオですねポォオ。

え? “ポォオ”ってなんだよ? って?
“ポォオ”っつったら、ポォオ・マッカァンニィでしょーよ!元ビィロォの!

え?
なんでそんな変な言い方をしているんだい? って?

そりゃー、さっきまで読んでいた今年出版されたばかりのビートルズ本に
「週刊誌のグラヴュア」って文字を発見したからさ!
この本を書いた人‥名前は伏せるけど
終始こんな感じでさぁ‥
カップリングは「カプリング」だし ベテランは「ヴェテラン」だし
 ハハハッ! って笑っちゃいました。

この人‥ ふだんは会社かなんかでこんな感じなんでしょうね。
昨日の夜は「カリー」食べたから、ランチは「ピッツァ」にしようか
それとも洋食屋で「ハンブルグ」にする?マックで簡単に「ハンブルガー」で済ますってのもいいし。

‥‥‥‥‥‥‥、、、

じゃあなんですかい?
ふだん何かで“グラビア・アイドル”って言わなきゃなんない時は、あなた「グラヴュア・アイロォ」
とかって言うんですかい?

って話しです‥

で!

チャーリー&ザ・スリー・クール・キャッツです。

チャーリーさんは、まぁ‥言うまでもなく元ザ・ファントムギフトのチャーリー森田さんです。
ヤンフォのメンバー、純君とはチャーリー&ザ・ホット・ホイールズというバンドもやっていました。

チャーリーさんと出会ったのは86年ですから‥ 
ヒェー!!!なんとかれこれ26年になるんですね!

なんだよ26年って‥ 
ダルビッシュの年齢じゃん! リア・ディゾンの年齢じゃん!
よく知んないけど‥バスケの選手‥マルティナス・アンドリウスケヴィシウス生まれてんじゃん!
本当‥よく知んないけどサッカー選手のギー・エンディ・アセンベも生まれてんじゃん!86年!
お煎餅じゃないよ!
すげーな!86年!
流行語大賞の特別部門は岡本太郎の「バクハツだ!」と「なんだかわからない」だって!
“バクハツだ!”はそれなりに流行ったと思うけど‥ なんだよ!“なんだかわからない”って!
本当‥なんだかわからないよ!
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チャーリーさん お洒落なバーじゃないですよ!Charlie's Roomですよ!

とにかく、そんな長いお付き合いをさせてもらってます‥チャーリーさんとは。

で、その“チャーリー&ザ・スリー・クール・キャッツ”は他に
G,Voのマーシーと、Gのトニーと、Bのスパイダーと3人のメンバーがいるのですが
今回、そのベース担当のスパイダーが仕事の都合でしばらくの間ライブ活動が出来なくなり‥
おそらく‥ 会社の企業秘密を漏洩して‥ 上司に「スパイダー!お前はスパイだ!」
「スパイダーはスパイだ!」
「スパイダーはスパイだから‥このプロジェクトはスッパイ(失敗)だー!」

って‥言われたかどうかは知らないんですけど、僕がちょっぴり代役を努めることになりました。
音楽も大事だけど‥ やっぱ仕事が大事です!

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左からトニー、スパイダー、チャーリー

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マーシー
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ついでに‥

ま、そんなわけで先日8月4日にはライブをやりました。
場所は東大和の“COO空”

この日はジョニー大倉さんの前座でした。(ここはあえて敬称・以下は省略)
なんか‥ いいですね、前座。
オープニング・アクトじゃなく “前座”
僕にとっては人生で二度目かな‥ミルクシェイクス以来。

ジョニー大倉のプロフィールは省きますが、いわずもがななんで‥
まぁ、キャロルです。
キャロルではほとんどの歌詞をジョニーが書いていましたから
その歌のイメージ世界やバンド自体の心の部分は彼が作り上げたものです。

キャロルをよく知らないという人もいるでしょうから
ここでは少し、そのジョニーが成しとげた事と功績について書いてみましょう。

あ、またまた長くなりそうですが‥


 ■ジョニーの功績とキャロル・デビュー40周年に思う事(長文不悪!)

というのも、僕が何かについて書こうとする時
物事の上っ面をさらりと語る‥っていうのがどうにも馴染めないんです。
何かこう‥突きつめたいんですね‥とことんまで。

ん‥? “突きつめたい” うんうん‥ ♪突きつめたい 
“♪抱きしめたい”みたいでカッコイイですね。

I WANT TO HOLD YOUR TSUKITSUME ←すんません雑で!

これはほとんど作家の猪瀬直樹(現・東京都副知事)と、坪内祐三からの影響です。
よく読みましたから、この両氏の書いたものを。

現在から遡っても、せいぜい100年くらい前までに起こった出来事や週刊誌的な卑俗な事象
または、文学に関するものまでと、様々なテーマでの評論作品を上梓してきた両氏ですが
共通していえるのは、テーマに対する時代背景への徹底的な“洗い出し”が展開されることです。

そこから現在を読み解いていくわけですが、この“洗い出し”が重要で、作品に娯楽性や信憑性を
与えているのは実はこの部分なのです。
それはまるで、ベテラン(べ! ヴェ→×)の刑事が「捜査の基本は“足”だ!」とでも言うかの如く
一つ一つ丹念に聞き込み調査をするかの如く、疑問を解き明かしていくからです。

読んでいる読者もまた、そのベテラン刑事の後をくっついて行く新米刑事になったような心持ちで
その様を見て(読んで)いくのです。

そうして、その考察に引き込まれたり、時にトキメいたりしながら、気付くと読者はそのテーマの実態を
より“リアリティー”をもって“知る”こととなるのです。

例えば、これから僕が書こうとしているジョニー大倉やキャロルのことについても
坪内祐三は“一九七二〜「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」(文藝春秋)”という
雑誌“諸君!”に連載されていた長編評論(著者はそう呼んでいる)の中で取り上げています。

僕がこの本を読んだのは、文庫本化された2006年でしたが
ふと、「確か‥キャロルについての鋭い考察が書かれていたよな‥」と思い出し
今一度、読み直してみました。

やはり、切り口が音楽系の雑誌や書籍とは違い、その手のライターではとうてい行き当たらない
角度からの“洗い出し”が見事で、先にも書いたように、ふたたび僕はその実態(キャロルについて)
を、リアリティーをもって再確認することができました。

この後“一九七二”からの説も引いていくことになりますが、この本は相当に面白いですから
ここに、その目次から主な見出しを挙げてみます。
各チャプターは、雑誌連載時の回数を表しています。

第1回  なぜこの年なのか
第2回  ポルノ解禁前夜
第5回  連合赤軍事件と性意識
第9回  遠山美枝子のしていた指輪 
     ※遠山美枝子とは山岳ベース事件で総括(リンチ殺人)された赤軍派から連合赤軍となったメンバー
第11回 南沙織が紅白に出場した夜に
第18回 「あさま山荘」の制圧とCCRの来日コンサート
第19回 箱根アフロディーテとフジ・ロック・フェスの間に
第20回 雷雨の後楽園球場でのグランド・ファンク・レイルロード
第21回 「はっぴいえんど」の松本隆のいら立ち
第22回 頭脳警察の「うた」を必要とした若者たち
第23回 キャロルとロキシー・ミュージックが交差した瞬間
第24回 若者音楽がビッグビジネスとなって行く
第25回 ローリング・ストーンズの「幻の初来日」
第28回 金曜日夜八時の「日本プロレス」中継終了と『太陽に吠えろ!』の放送開始
第29回 『ぴあ』の創刊と情報誌的世界の登場
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一九七二 (文春文庫)

どうですかね‥
なんか感じ‥つかめましたかね‥

キャロルを正確に捉えようとするならば、このデビューの頃の所謂“空気”をまず感じなければ
ならないということは、今書いてきた通りです。
この坪内祐三の“一九七二”を紹介している意図とはまさにそのためで
“空気”を感じるためには最良のテキストとなっています。

第2回の“ポルノ解禁前夜”で読み取れる、この頃の“低俗”や“下世話”または“貞操観念”
などのイメージは、キャロルの中にしっかりとあるし(あったと言ったほうが正しいかもしれない)
第5回の“連合赤軍事件と性意識”から数回に渡って評されていくこの事件、ようは長野県軽井沢で起きた
あさま山荘の篭城戦へとつながっていくこの事件の映像は“1972年”と言った瞬間に多くの人の脳裏に
自然と映し出される“風景”ともなっている。

例えば去年の大震災や、2001年にアメリカで起きた9・11同時多発テロのような大きな出来事は
起きてからしばらくの間は世間や人々の心の奥底に薄らと停滞し続けるものです。

キャロルがデビューした“頃”とは、このあさま山荘の事件が、まだ記憶とも呼べないくらい
「ついこないだ」のことであり、日本に初めてパンダがやって来て上野動物園は連日大騒ぎの最中であり
この年いよいよ本土復帰となった沖縄県出身の歌手、南沙織が時代のアイドルであり
子供たちには仮面ライダースナックが大人気で、おまけのカード目当ての子供がお菓子を食べずに捨ててしまう
といったことが社会問題になり、冬期オリンピックが札幌で開催された年であり、テレビドラマ“太陽に吠えろ!”の放送が始まった年であり、川端康成がガス管をくわえて自殺した年であり、巷に流れていた歌は
よしだたくろう♪結婚しようよ 旅の宿 小柳ルミ子♪瀬戸の花嫁 ぴんからトリオ♪女のみち 
天地真理♪ひとりじゃないの 郷ひろみ♪男の子女の子 山本リンダ♪どうにもとまらない 
青い三角定規♪太陽がくれた季節 平田隆夫とセルスターズ♪ハチのムサシは死んだのさ 三善英史♪雨 
麻丘めぐみ♪めばえ 奥村チヨ♪終着駅  アンディ・ウィリアムス♪ゴッド・ファーザー・愛のテーマ
カーペンターズ♪スーパースター レコード大賞は、ちあきなおみの♪喝采が大賞を受賞した年なのです。

ロックはといえば‥まだまだ巷では聴こえてきません。
日本では“ニュー・ロック”と呼ばれるものが1969年くらいから登場してきますが
これはごく一部のファン層に支持されていたもので“大衆”の中に“ロック”というものが
認識されていくのは、これよりもだいぶ後になります。

著者は、高度経済成長期の大きな文化変動(なんとロマンチックで魅惑的な言葉だろう!)
の“はじまり”が1964年、そしてそのピークが1968年、そしてその“おわり”が1972年
だと提起しています。

キャロルがシングル ♪ルイジアンナ/最後の恋人 でデビューしたのが1972年の12月。
この本は1972年が“どんな”年であり、そして、どんな“空気”だったのかを多角的に
捉えようと試みています。
ですから、“キャロル登場”がどんなであったのかを、時代性の中から眺めることができるわけです。
そして今年がその40周年にあたります。

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左から ジョニー大倉 内海利勝 矢沢永吉 背中を向けているのはジョニー大倉の著書「キャロル夜明け前」によればキャロル最初期のメンバー今井某氏


矢沢永吉もジョニー大倉も共にデビュー40周年を迎えた今年、さまざまなメディア上で取り上げられ
その“物語り”を自ら語っているのを目にします。

その物語りを聞いたり読んだりするたびに、僕はそのことを本当に嬉しく思い、この40周年のお祝いムードに
ほっと胸を撫で下ろしています。

というのも、キャロルはまだまだ人気絶頂だった1975年に、人間関係のもつれから
突然解散してしまいました。
活動期間は僅か2年と4ヶ月。

その後、ソロ・アーティストとなった矢沢永吉が1978年に「成りあがり」という自叙伝を出版し
100万部を越えるベストセラーとなりました。
この本にキャロル解散の経緯が赤裸々に、そして、かなり感情的に書かれていたことによって
その人間関係の“もつれ”の部分は周知のこととなってしまったわけです。

ですから、元メンバーのジョニーやエーちゃんが、今こうしてキャロルを
“穏やかに”語っているのを見ていると、まだまだ少しハラハラしながらではあっても
こちらとしては、やはり嬉しくなってしまうのです。

そして、この40周年の今年8月、先にも書きましたがチャーリーさんたちとの縁によって
僕は初めてジョニー大倉本人を目の当たりにする機会を得ました。

そんなことから、自分の裡にあるキャロルへの思いやなんかについて書いてみようと思ったわけです‥

僕が最初にバンドを始めたのは中学3年、14歳の頃でした。1980年です。
キャロル解散からはすでに5年経っていましたが、やっぱりというか‥
もちろん!というか‥キャロルのコピーバンドをやっていました。

そのバンドで最初にコピーした曲はビートルズの♪デイトリッパーでした。
おそらく‥ イントロから単音のリフばっかりなので「これならいけそうだ‥」と
全員が音楽初心者だったメンバーは安易に考えたのでしょう。

そして次に挑戦したのがチャック・ベリーの♪ジョニー・B・グッドでした。
こう書いてしまうと、すごくまともな印象になりますが、♪デイトリッパーは相当にメチャクチャなアレンジで
ドラムは曲中ずーっと、両手でタムタムを叩いてました。
「ドコドコドコドコ、ドコドコドコドコ」ってずーっとです。
まぁ‥ そのドラマーは僕なんですけどね!
ドラムの基本である8ビートも知らないでやってましたから‥

タカオもメンバーでしたが、もうやる楽器がすべて埋まっていましたので仕方なくタンバリンを
「チキチキチキチキ、チキチキチキチキ」って、ずーっと振ってました曲中ずーっと。
今思えば、タンバリン担当のメンバーがいるって、まるでGSみたいですが‥なんか少し怖い感じもします。

このバンドの練習場所を提供してくれていたのが、家が新聞の専売所を営んでいた同級生で
そいつにも何か楽器をやらせようってことで、ある日曜日にみんなで新宿までキーボードを買いに行きました。
もちろんそいつはピアノもオルガンも弾けません。
で、時代はニュー・ウェイブやテクノ・ポップ華やかなりし頃です‥
なんの迷いもなく“シンセサイザー”を買いました。
15万くらいしたでしょうか。
もう全員、気分は高揚したまま帰ってきました。いつもの練習場、そいつの家のビルの地下室へ。
さっそくアンプに繋いでみますと‥
「ブブブブブ」とか、「ビィヨイ〜ン」とか、「ピッコ!ピッコ!ピッコ!ピッコ!」
しか鳴りません。
そうなんです、シンセサイザーはいわゆる「♪ド、レ、ミ、ファ‥」が出ないのです。
♪ド、レ、ミ、ファ‥が出るキーボードに繋いでなんぼ‥の楽器なんですね。
仕方ないから強引にやってました、トンチンカンな音で、単音で、
やっぱり♪デイトリッパーの曲中ずーっと‥「プーッ、プーッ、プーッ、プーッ、」
ボーカルはその年の夏に突然デビュー(不良になる)したヤンキーです‥ 
当時は“ツッパリ”って言ってましたが‥
もう巻き舌で「♪ガラグリィズン!テーキンズィイーズィウェアウナウ!」
で、タカオが「チキチキチキチキ!」
僕が「ドカバカドカバカ!(導入のロール)ドコドコドコドコ、ドコドコドコドコ」
でもって新聞屋の倅、15万のシンセで「プーッ、プーッ、プーッ、プーッ、」
こんなアヴァンギャルド!意図してなんて絶対出来ません!
ビートルズ!ゴメンナサイ!って感じです。

で、2曲目のレパートリー♪ジョニー・B・グッドです。
無謀にも歌詞を勝手につけてやってました。日本語で。
バンドの名前が“ミルキーウェイ”って名前でした。(これ書くの‥すごくためらいましたが‥)
一番からメンバーのパーソナルを一人ずつ歌い込んでいくってパターンですね。
で、サビの「Go!Go! Go!Johnny! Go! Go!」は‥ 勘のいい方はお分かりかと思いますが‥
そうです、「We are! We are! Milky Way!」って歌うんです。というより‥ ツッパリなんで
「ウィーアー!ウィーアー!ミルゥキウェイ!」って感じですかね‥ ルのとこ巻き舌で
もちろん!サビは全員で大合唱です。
この歌の歌詞でなんと言っても白眉なのが終わり、ドンケツですね。
チャック・ベリーだと「〜Johnny・B・Good」って終わるとこ‥
「We are! We are! Milky Way!」って何回か来といて、最後‥
「オレたちミルキウェイ!」って突き放して終わりでした。
多分‥ 突然デビューのボーカルは‥ 拳‥突き上げてたと思います。

そんなんで、やんややんやでちょうちんで毎日が過ぎていましたがある日‥
一つ上の先輩たちがこのバンドの噂を聞きつけて練習を見に来るってことになりました。

そうです、イカリさんです、ストライクスの。
イカちゃんのバンドのメンバーは、みな不良ですから‥ちゃあんと中学入学と同時にデビューした
人たちばかりですから、ミルキーウェイ一同、みな緊張して待っていると、地下室の天井板が
俄に開き、先輩たちがやってきました。
「なんか演奏してよ!」と言われ、
「ヘイ!」ってんで「♪ガラグリィズン!チキチキ、ドコドコ、プーッ!プーッ!」
お粗末さまでした。

そしたらイカちゃんだか、他の先輩だかが「お前らなんでそんなむずかしい曲やんの?」
「キャロルやれよ!簡単だから」とかなんとか。

そんなこんなで、それからはキャロルのコピーが解散(中学卒業)まで続きました。
まず、♪ファンキー・モンキー・ベイビー
とくれば次は♪ルイジアンナ、そして♪やりきれない気持ち
このあたりまでやって、確か‥♪涙のテディー・ボーイをやろうとしたところで活動しなくなりました。
中学卒業を間近に控えたある日曜日、この地下室で一人、キャロルのバンド・スコアーを見ながら
♪涙のテディー・ボーイのドラムパターンを練習した記憶があります。
当時のバンドスコアーはけっこういい加減でしたから、「ドン、タ ドンド、タ」ってリズムパターンを
譜面では「ドン、タ ドドド、タ」ってバスドラムを3発踏むように書いてありました。
今思えば、ちょっとあり得ないパターンなんですけど‥
なんせ音楽的に無知でしたから、しばらくはこのパターンで練習してました。
あれはなんだったんだろう。

今ここに書いてきた、いわゆる“バンド始めた物語り”は、僕ら世代では全国どこへ行っても
わりとそこらじゅうに落ちている話しです。
この頃にバンドを始めた世代の典型的なパターンの一つです。
地元の先輩から後輩へと引き継がれて行く“キャロル・バンド”のバトンリレー。

これは特に、ふだん趣味として聴いている音楽のジャンルとは関係ありませんでしたから
フォークが好きな少し暗めの少年も、ディスコ・サウンドが好きなヤツも、アメリカン・ロックが好きな
シティー・ボーイ予備軍も、とりあえずバンドを始めようとした場合、まずハードロック・コースか
ロックンロール・コースかのどちらかを選ぶといった、一つのシステム、または通過儀礼の
ようなものでした。

僕はこの頃、聴くほうでは、いわゆるオールディーズ、アメグラ、ドゥーワップ一色でしたが
キャロルを同じロックンロールとしては捉えられませんでした。
僕の耳には、あまりにも“にっぽん的”で、すごく度ギツくて、不良の象徴で
矢沢永吉が昔やってたバンドといったくらいの印象でしたでしょうか。

とはいえ、僕も含め、初めてバンドをやろうとする多くの少年たちにとって
キャロルは実に手頃で、役割分担も明確であり、なんとなく形になるまでに
あまり時間や練習を要さないフォーマットだったのです。

ビートルズをやろうとすれば、まず英語の歌詞を覚えなければならないですし
ハードロックをやろうとすればギタリストはかなりの量の練習を積まなければなりません
こういった問題がキャロルにはまったくありませんでした。

キャロルが解散してから、5年後に14歳の子供が曲をコピーする。
そしてその少年は洋楽一辺倒しか聴かなかったのに、そのうちに日本語の歌を作るようになる。
もうリアルタイムではないバンドがカルチャーの表層には見えないところで静かに生きつづけ
その種はある日突然、まったく知らない場所で萌芽する。
考えてみれば、日本のアーティストのLPを買ったのはキャロルが初めてだったでしょうか‥
あ、その前にプラスチックスを買っていたので、2枚目です。

僕が音楽を自分でやろうとする過程で、キャロルが示した道標は、例えば少年期のジョン・レノンにとっての
※スキッフルのようなものと言えるかもしれません。 ※1950年代中頃、イギリスで大流行した簡単な楽器で演奏出来るトラッド・ジャズのようなヒルビリーのような音楽

中学を卒業した後も、僕はまた別のバンドを作りました。
今度はビートルズや50年代のロックンロールもレパートリーに入れていましたが
相変わらずキャロルの曲もやっていました。
そのバンドではもうドラマーではなく、ギターを弾きながら歌うようにもなりました。

ちなみに当時、僕が歌っていたキャロルのナンバーは
♪ファンキー・モンキー・ベイビー ♪ルイジアンナ ♪やりきれない気持ち ♪ラスト・チャンス
♪夏の終わり ♪涙のテディー・ボーイ ♪ヘイ・タクシー ♪彼女は彼のもの
我ながら‥ すげぇな!

それにベーシスト(ヨーピン)が♪変わり得ぬ愛 たまにドラマーが♪彼女は彼のもの
を歌っていました。

この♪変わり得ぬ愛
キャロルが最後にリリースしたシングル♪ラスト・チャンス のB面の曲。
ふと口ずさんでみれば、とっても良い歌詞です。

今夜も一人で 想いにふけるよ
時がすべてを変える 消えた恋
君は変わりすぎた 届かない
昔のように 甘い恋を
許されるなら 夢見たい

これは解散に向っていくキャロルへ、はっきり言ってしまえばエーちゃんに向けられた言葉
なのでしょう。
こんな思いがありながら、ジョニーはエーちゃんの「あと1、2年は頑張ろう」という言葉を
袖にしてしまう。

思えば、ジョニーの心はいつでも相反する二つの想いがぶつかり合って精神を休める時を知らない。
そして、その二つの想いは消耗の後、悉く、あえて言えば、悪いほうへ、破滅しそうな方へと傾いていく。

キャロルを結成する時もエーちゃんが出したメンバー募集の張り紙を見て
自ら連絡したにもかかわらず、参加することを一度躊躇している。

その時の経緯をあえてエーちゃんの“成りあがり”から引いてみれば

『ところが、鎌倉で、ジョニーがハッキリしないわけよ。のらりくらり。鬱病が始まってたわけよ。
ドロップしてたの。スリク(薬)かなんかの鬱病だよ、アレ。そうこうして帰った。
あとでウッちゃん(内海利勝)と、「あいつ、ハッキリしないな」「うん、しないね。でもサ、何かいいみたいじゃない。やろうよ」って話をした。 それから、一か月、ピタッとジョニーから連絡がこなかった。
電話番号も聞いとくの忘れてたしね。その間、あいつ病院入ってたでしょう。大問題起こしちゃって、カミソリでワオッとやっちゃって手首かなんか。』※文中( )ヨシオ

このエーちゃんの言葉の「あいつ病院入ってたでしょう」の“でしょう”は、聞き手である※糸井重里も
その事を少なからず知っている、そしてそれは、その向うにいる世間やファンも、まったく知らない事ではないことを暗に示している。
※“成りあがり”は口述筆記形式で綴られた矢沢永吉の自著伝で、そのインタビューとライターを糸井重里が担当した。

そして、この時の事情をジョニーの著書“キャロル夜明け前(青志社刊)”から一文だけ引いてみれば。

『それでぼくは、発作的にみずからの手首を切った』

ここでジョニーの言う「それで」は、活動できなくなっていた自分のバンド“ジュリア”をなんとか復活させたいという思いを断ち切れないでいたことや、張り紙への連絡後、エーちゃんと喫茶店で会いはしたものの、その押しの強さに圧倒されていたこと、そして、この時期に現在の奥さんである“マリちゃん”と交際を始め、半同棲生活になり、そのマリちゃんが妊娠したことによって精神が混乱し、結果『何をどうすればいいのか、方向性をまったく見失ってしまったのだ』という事情を告白した後につづく「それで」だ。

ジョニーの屈折した心がひき起す、こうした“奇行”は、いわゆる“ロック的”な解釈として
理解しようとしたすれば、世間やファンにとっては多少の“カッコ良さ”すら伴って
例えば、セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスがベースギターで客の頭をブン殴ったとか
ミック・ジャガーが大麻を不法所持していたことなどと同列に片付けられてしまいがちです。

僕がキャロルのコピー・バンドをやっていた1982年頃、バンドのメンバーたちと回し読みしていた
“暴力青春”という本がありました。
キャロルが解散した1975年に出版されたキャロル唯一の公式書籍で、4人のメンバーが思い思いに
好きな事を書いた、ちょっとしたキャロル・ヒストリーのような内容のものでした。
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暴力青春 キャロル・最後の言葉 KKベストセラーズ刊

その中に“ジョニー疾走事件”について書かれた箇所がありました。
これはキャロルがまさに人気絶頂にあった1973年11月から1974年2月まで
突如ジョニーが疾走してしまった事件について、ジョニー本人が、当時読んだ僕の印象では
大して悪びれる様子もなく書かれていました。

今思えば、これを読んだ時に、僕のジョニーへの“印象”は決定的なものとなりました。
それは良くいえば“繊細”で、悪くいえば“危なっかしい”
ストレートに言うなら“奇人”です。

時は経ち、2010年にジョニーは「キャロル夜明け前 第2章」という本を上梓します。
この中で、その疾走について、ジョニーは“初めて”そして“冷静に”この時の事情を
告白しています。
“暴力青春”とはうって変わって、ここではもうロック的なポーズはありません。

かなり端折って引いてみれば。

不安定な精神はドラッグを求め、心悸亢進とショック状態を起こしながらも
どうにかツアーを続け、11月、北海道の公演を終えたところで限界を迎える。
そしていったん東京に戻り、そのまま姿をくらました。

ということになります。

“暴力青春”で僕が感じたロック的なポーズもなく、なかば悔悟にあふれた告白は
ジョニーの目線に立てば、切実さをもって迫ってきます。

僕の方も冷静になってみれば、キャロル結成直前の、エーちゃんの言う「カミソリでワオッ」にしても
まだ、ジョニーはただのアマチュアのバンドマンで、パフォーマンスで出来る範疇は有に越えた
行動だということに気付きます。

“暴力青春”でのジョニーは、この疾走事件から、まだたったの1年くらいしか経っておらず
正当化こそしないものの、多少の“美化”は仕方なかったのかもしれません。

そして、この疾走事件は、一つのしこりとなって“キャロル夜明け前・第2章”を読むかぎり
キャロル解散の遠因となってしまうのです。

この“キャロル夜明け前・第2章”は、長年エーちゃんの側からしか語られて来なかった
キャロル解散の顛末を、初めてジョニー側(成りあがりによれば、エーちゃん対他の3人となっていた)
から語られたことで、ようやくこの事をフェアーに眺めることができるようになったのです。

先にも書いたように、それをエーちゃんが語っていたのは、1978年で、口実筆記であったため
わりと辛辣に書かれていました。
文面を読めば、エーちゃんの側に正当性があったにせよ、あの独特の矢沢節では、どうしても
読んでいるほうは、エーちゃんの印象を悪く捉えてしまっていたように思います。

それを補うかのように、ジョニーの書いた“キャロル夜明け前”と“キャロル夜明け前・第2章”では
この疾走を結果的には許したエーちゃんの“情”や、キャロル解散後もジョニーの母親に時おり電話を
かけて「ジョニーは大丈夫か?しっかりやってるか?」と連絡していたエピソードなどが明かされ
キャロル・ファンにとっては驚きとともに、嬉しい発見となったのではないでしょうか。

僕は、この「ジョニーは大丈夫か?」のエピソードを知るに及び、なんだかすごく
エーちゃんを好きになりました。

それにしてもジョニー‥ 
この屈折した心。
エーちゃんに負けず劣らず、決して裕福ではなかったジョニー。
在日コリアンという厳しい環境の中で生きてきたそれまでを振り返ってみても
端から見ればやっと掴んだ“成功”
その成功に至ってさえ苦悩してしまうジョニー。

この不器用さはなに故だろう。
この研ぎすまされた感性は、どうしてジョニー自身を傷つけずにいられないんだろう。

そんな漠たる思いの中、先の夏、8月4日を迎えました。

僕ら、スリー・クール・キャッツの出番を終え、汗だくの衣装のまま、僕は客席の一番後ろの
席に座りました。

バンドが先にオープニングのインストを演奏する中、ジョニーがステージへと歩いて行きます。
そして1曲目の曲を歌い出しました。
僕の知らない曲です。
「本物だ‥」とか、そんな事を思って観ていました。
1曲目が終わると、わりとリラックスした感じで、こんなことを言いました
「今さぁ、この歌の歌詞、一番大事なところ‥間違っちゃったんだよ‥」
「もう一回やってもいいかなぁ‥」
曲の後半部、少しバタついた箇所があったので、おそらくそこの歌詞が抜けたんだということは
なんとなくわかりました。
そして、もう一回。
頭からやりなおしました。
「一番大事なところ‥」って言っていましたので、どんな歌詞なのか気をつけて聞いて
いましたが、やっぱり大事な箇所でした。
最近作ったらしい、世界平和的なテーマの、でも説教くさくない歌でした。

「やっぱり言葉を大切にしているんだな」と思いました。
そのことに少し嬉しくなり、場内もいわゆる“あったまって”きましたので
僕はまだ衣装を着たまま、ジョニーを見続けていました。
曲に入る前に、ジョニーは時おり、短い小芝居のようなモノローグをしていました。

♪メンフィス・テネシーというチャック・ベリーのカバーの時はこんな具合です。
「なぁ、アメリカへ行くんだって? え、ニューヨーク? いいじゃないか」
「でもぉ、アメリカへ行くんだったら‥ やっぱりメンフィスへ行こうよ」
「あそこはロックンロールが生まれた、それは素敵な街なんだ‥」
と、こんな感じでイントロに入って行きます。

このちょっとした演出、役者としても、評価の高いジョニーですから、これで場内は
一気にジョニー・ワールドに引き込まれてしまいます。

そして、5、6曲目くらいだったでしょうか、この日最初に歌ったキャロル時代の曲。
♪涙のテディー・ボーイでした。
この曲は、キャロル・ファンなら誰でも知っていますが、エーちゃんが詞を書いた曲です。
全体の8割くらいはジョニーが作詞をしているキャロルの曲の中から、あえて自分が詞を
書いていない曲を最初に歌いました。
しかも、この曲のリード・ボーカルはエーちゃんでしたから、すごく意外に思いました。
確か、MCで、東北の震災のことに触れた後、歌いはじめました。

ここへきて、こんなこと言うのもなんですが、僕は決して熱烈なキャロル・ファンというわけでは
ありません。
僕にとってのキャロルとは、ファンというよりも、当たり前にあるもの。
うまく言えませんが、親のことをいちいち“好き”とかって思わないのと同じです。
ただ、レコードは‥ おそらく全部持っていました。

ですから、この正規のエーちゃんバージョンじゃない♪涙のテディー・ボーイを聴いていて
キャロルの曲というだけで、例えば花火に向っていう「玉屋〜!」のような気分で心の中は
「お!やってんな!ジョニー!」みたいな心持ちでした。
初めは。
すると「あれ‥」
「ん‥」
「なんだこれ‥」って感じで涙が溢れてきました。

そりゃそうです。
15歳の頃、「バンドでプロになる」って思いで歌いはじめたときの曲です。
その頃は、みんな「ビッグになる!」とかって言ってました。
バンドをやっている人たちは、おそらくジャンルを問わず、こういう言い方をしたものです。

それこそ猪瀬直樹の本(確か‥唱歌誕生 という本だったか‥)で、知人の娘さんがイギリスの大学に
留学していたおり、ある日突然、ふと淋しくなり、一人アパートで突然号泣してしまい
その時、無意識に唱歌の♪故郷を歌っていた、といった話しがありましたが、そんな感じでしょうか。

そして、そのライブを結局、着替えもしないまま見続けてしまい、というより
ジョニーを観ていたら動けなくなってしまい、自分の中のキャロルとか
自分の中のロックンロールだとか、ジョニー大倉の不器用な生き方とか
いろいろと頭の中が駆け巡り、ふと、気付きました。

今、自分が観ているものは、なんだか‥ 歌い手とか、ロックンローラーとか
元キャロルとか、そういうものとはちょっと違う、本物の何かだと。

今、自分が見ているものは、何かとてつもなく“純粋なもの”だと。

この晩、ジョニーが歌った♪やりきれない気持ち は、その歌詞、歌世界は、実は最初から
“大マジ”で歌われ、そして今も“そのまま”で歌っている。

ジョニーは、あのキャロルの歌詞を、一つの想定で書いたのではなく
それは例えば「この歌の主人公は片想いで‥ カッコつけてるけど内気で‥」といったふうに
書いたのではなく、最初から信じきって書いている。

その事を僕は、なんの根拠もなく、でも確信をもって感じました。

この不器用さはなに故か。
この研ぎすまされた感性はなぜジョニー自身を傷つけるのか。

それはジョニーがどこまでも純粋だから。

純粋なものは決して器用に世の中を渡れない。
“うまくやって”なんて発想は理解すらできない。

今、音楽の中に純粋さを見つけることは、すごくむずかしいことです。
だってこんなに傷つき、消耗してしまうから。

でも、故に本物の輝きを放つんですね。
そんなことをジョニーは教えてくれました。

チャーリーさんの粋な計らいで、僕はストライクスのCDを2枚、手渡すことができました。
こんなことしたの初めてでしたが‥
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緊張するっつぅの!

今回は結局、ジョニーが成したこと、その功績については書ききれませんでしたが
次回、書いてみます。
もう、原稿用紙で8枚くらいは書いてあるんですけどね!
キャロルについて、坪内祐三ばりに徹底的に掘り下げます。

とことん、とことん、です。

そんで、スリー・クール・キャッツでライブやった時、衣装が皮ジャンで頭の2曲くらい
サングラスして出たけど‥髪‥ロン毛だから‥長谷川きよしになっちゃったでやんのー!
でお馴染みのヨシオでした!チョーオ!

  
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2012-09-24 : 小林ヨシオblog : コメント : 3 : トラックバック : 0
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■トービー・ジーマに於ける芸術的または肉体的栄光と挫折  Part - 3

ハイ!フォークス!

寒いけど春ですね!
皆さんいかがお過ごしでしょうか。

僕は‥
元気じゃないけど元気です!

だって‥
つい5分前‥
大量に書いたこのブログの文章‥
写真とか貼っつけたりとか‥延々やったのに
変なボタン押したら全部!ぜぇ~んぶ消えちまったのさ!
だから、元気じゃないけど‥元気です! いや‥まじで。

ではまぁ‥ ご挨拶もそこそこに
先を急ぎます。

今回のブログ‥すんごい長いんで。

ロックンロールとか、マージー・ビートとか「別に‥」と言う方は
読まないほうが良いかも知れません。

でも、もしかしたらすごく面白いかもしれません。
んー、それだけは僕にはわからないなぁ。

それでは早速はじめましょう。


 ■トービー・ジーマに於ける芸術的または肉体的栄光と挫折  Part - 3

前回は、マージー・ビートはさておき、殆どが映画“アメリカン・グラフィティ”について語ることに終始してしまいました。
でも、それもいた仕方なしと考えています。

このまま書いていけば、その筆はいずれマージー・ビートにまで及んでいくことは自明のことですし、何を論ずるにしても、その出自を明らかにしないことには論じ評したことにはなりません。
まぁ、ここは慌てず、じっくりと書いていこうかと思います。


前回の “トービージーマに於ける~Part - 2” を書くにあたり、自分が音楽と出会い、
その後バンドを結成し、色々な人たちと出会い、そして今日に至っている道筋を振り返ってみました。
その作業は実に楽しさとスリルにあふれていましたが、長い道程の果て、事の発端にまで遡ってみれば、それはとある日に、感性が “ふっ” とキャッチしたほんのささいな出来事に過ぎなかったのだと気付きました。

絵を描く人、山に登る人、マラソンをする人、バイクに乗る人、医学の道を歩む人、世界に飛び出して行った人、起業した人などなど。
あげていったらきりがありませんが、すべては “ある日‥何気なく” その感性がそっと触れた出来事から始まっているのです。

そこに人の人生の “あや” を見ると言ったら少し大袈裟かも知れませんが、ザ・ストライクスを一緒にやってきたイカちゃん、イナッチョ、タカオ、そして音楽を通して出会ったすべての人たち、そして現在のメンバーであるエツコ、純、ユウイチ‥
僕が まだ思春期予備軍だった13才の “あの日” に、その青臭い感性がキャッチしたものが、例えば “アメグラ” や “ロックンロール” ではなく、 “サーフィン” や “ファッション” だったとしたら、その後彼らの誰一人として、知り合い、深く関わるなんてことはなかったはずです。

もちろんこれは、僕のほうから見た場合に限ったことではありません。
相手にとっても同じことが言えるのです。
“ある日‥何気なく” イカちゃんの感性がビートルズをキャッチしたからこそ、一つ年下の僕らがやっていたバンドの練習を覗きに来たのだし、エツコや純の感性が60年代の音楽や、自身でバンドをやろうとした “あの日” の感性・価値感があったればこそ、現在のヤングフォークスもあるのです。

僕はいわゆる “二世” や “世襲” を信じません。
一番近くにいる親から価値感を受け継ぐなんて、ちっともドラマチックじゃない。
僕が音楽の扉を開くまでには、それこそ100個くらいの扉を開けたり閉めたりしてたどり着いたのだし、誰に強制されたわけでもありません。
また、そういった価値感を育む環境が幼い頃からまわりにあったわけでもないのです。

にも関わらず、ミュージシャンのようなものになって、こうしてこの歳までプレイしたり楽しんだりしている。
僕のまわりにいる音楽仲間や、ライブハウスなどで見かける顔馴染みの連中にしたって殆どが同じようなものだと思います。

勿論、これはミュージシャンだけに非ず。
ロカビリーが大好きな寂しがりやのテディボーイは、一体何をきっかけにしてエルビスやカール・パーキンスに出会ったのでしょうか。
今だにガールズ・ポップスに夢中なボビーソクサーは、恋と涙の芳紀17歳の時に、どうやってロニーやレスリーの歌声を耳にしたのでしょう。
ある日突然ラジオから流れてきたのでしょうか。
それとも、家にはそんなレコードしかなかったからでしょうか。

たぶんそれは‥
自分でたどり着いたのです。
先輩やお姉さんに連れて行ってもらったパーティーでだったにせよ、映画の中の素敵なシーンで流れていたからにせよ、そうした音楽にたどり着いたのは自分がその扉を開けて入っていったからです。

僕らの世代ならそれこそ音楽は百花撩乱。
テクノ、スカ、レゲエ、パンク。
デビッド・ボウイ、ボーイ・ジョージ、ジョージ・マイケル、マイケル・ジャクソン、ジャクソン・ファイブ。
YMO、CCB、ARB、TMN、TMR、RC、LR。
竜童がいたり、リューベンがいたり、ユーミンがいたり、フーミンがいたり。
ナゴム系、渋谷系、小椋圭。
ありとあらゆるジャンルがあり、新しいアーティストが次から次へと出て来た時代。
誰もが感性に従い、そっと手を伸ばしてつかんだ音楽。
そこにうっすらと付いた指紋の跡を見てみれば、他に一つとして同じものはない。
若い頃に出会った音楽というのは、言うなれば正直で純粋な自分を写す鏡です。

至極当たり前の話しをしているので、訝しいと思う向きはご容赦下さい。

中学生の頃、父親がジャズ・ミュージシャンをしていた友人がいました。
初期のシティー・スリッカーズに在籍していたこともあったサックス・プレイヤーで、その当時はソウル系のバンドを率いて活動していました。
お名前は差し控えますが、いわゆるトップ・プレイヤーです。(勿論!現在もそうだと思います)

その友人の家に遊びに行くと、それこそレコードは山のようにあるわけです。
ざっと4~5千枚はあったでしょうか。
エレキ・ギターなんかも普通にそのへんに置いてあったり、楽器が入っていると思われるケースなどもそこかしこに雑然と置いてありました。
その頃の僕は、後に自分が音楽をやるなんてことは夢想だにしませんでしたから、特にそれらに触れてみたりすることもなく、専ら映画の話しをしたり、当時としてはまだまだ珍しかったビデオ・デッキなどでビートルズの武道館公演の映像を観せてもらったりしていました。

たまに在宅中の彼の父親に出くわすことがありましたが、きまっていつもTシャツにジーンズ姿、髪は長髪で肌は一年中日に焼けていました。
彼の母親にしても、今思えばその姿は、まるでデビューした頃のリンダ・ロンシュタットのようでした。
79年頃の話しです。

今思い返してみても、その友人にはそういった環境をひけらかすようなところは少しもありませんでしたが、それも当然の話しで、僕ら一般的な青少年はだいたい中学生くらいでロックや音楽に目覚めるものですが、彼にしてみれば、音楽はいつでも、生まれた時からずっと家の中に満ちあふれていたのです。

その友人は、その後もバンドなどはあまり熱心にやらなかったと記憶していますが、仮にもしやっていたとしても、彼はわざわざ扉を100個も開ける必要はなかったでしょう。
せいぜい3つか4つ開けるだけで、そういった価値感には容易にたどり着けたはずです。

ほら、こう書いてしまうと、ロックンロールや、ブリティッシュ・ビート、ビートルズに関するマニアックな話し、バカラックやディラン、フレンチ・ポップスでも昭和歌謡でもいい、そんな共通言語で会話が出来るというだけで、僕たちは150個目くらいの同じ扉を開けた者同士というわけです。
ましてや‥ 
マージー・ビートなんて。

だいぶ長い前書きになりました。
不悪。
では、そろそろはじめましょうか‥

あ、前書きの比じゃないくらい長いです‥今回も。
ですから、本当に‥「ロックンロールやマージー・ビートは別に‥」という方は
この後の扉は開けなくていいかも知れません。


ではのちほど。
出口のあたりで待っています。


 『♪ロック・アラウンド・ザ・クロック』

相も変わらずロックンロールの話しをすることが多い。
もちろん、50年代や60年代の音楽という意味で。
20才も年下の子と話したかと思えば、今度は20才も年上の人と話す。

以前に読んだ三島由紀夫の随筆の中で「戦争に行った人間は、戦争の話ししかしない」といったようなことが書かれていたが、ロックンロールやポップスの洗礼を受けたものはそれでいいのだと思う。

とは言っても、50年も昔のものについて話しをしているわけだから、それぞれの世代によってその直面の仕方は自ずと違うものである。

だから僕は、ここで前回に引き続き、僕の世代が直面したロックンロールの状況を整理しながらその “証言” をしてみたいと思う。
そのことについて書かれた書籍でもあれば、是非読んでみたいものだが、その在処をいまだ僕は知らない。

それでは前回予告した通り、僕にとっての原点であり、その誕生から幾度となく若者の魂を揺さぶり続けて来た不思議な運命を背負った曲
♪ロック・アラウンド・ザ・クロックについて話してみたい。


 其の一 青春No.1

「ワン、ツー、スリー、フォー、おいロック!」

これは昭和30年に日本で最初に♪ロック・アラウンド・ザ・クロックが、海の向うアメリカから聴こえて来た当時のことを振り返って言った平尾昌晃の言葉である。

1982年に発行された音楽雑誌・プレイヤー別冊 “ OUT PUT ” の中で、ロックンロールが誕生したとされる1955年頃の日本の音楽状況について語ったインタビュー記事から引用したものだ。

実際の文章は
「するとそのころですね、ちょうどワン、ツー、スリー、フォー、おいロック!という‥♪ロック・アラウンド・ザ・クロックがまず入ってきたんですよ ~ (省略) ~ それであれ‥と思ってね、すごいショックをうけたわけ、今までウエスタンでバイオリンが入ってスチールギターが入ってやってたでしょ、それでこれじゃバイオリンなんていらないんじゃないかという話しになってね」
というような内容になっている。
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「ロカビリー歌手だった若き日の平尾昌晃」


僕はこの逸話が好きだ。

本当の歌詞は「One, two,three o'clock, four o'clock rock」と、日本人にとっては相当になじみ深い英語の「ワン、ツー、スリー」で入っておきながら、突如舌がもつれてしまいそうな「オクロック、フォー、オクロック、ロック」と早口で言うことを強いられる。
それでもこの、なんとも弾んだ調子で楽しそうな、それでいてカッコ良くもあるこの歌を歌いたい衝動はどうにも押さえられない。
そこで誰ともなく言い出した「♪ワン、ツー、スリー、フォー、おいロック!」
となったのだろうと大体の察しはつく。
“ロック” という形而上のものを擬人化して「おい、ロック!」と呼びかけてしまう自由さ、または押さえようのない感情の発露は、じつはこれこそが、この後に僕が延々と述べたてていくロックンロールの正体なのかもしれない。

この歌を歌いたい衝動。それは僕にもあった。
あの1980年の春から秋にかけて500回くらい歌ったろうか。
初めて人前で歌を歌ったのもこの曲だった。遠足だか、学校の行事だったかは忘れてしまったが、とにかくバスの中で、クラスの皆の前で歌った。
決して顔には出さなかったが、興奮で胸はいっぱいになり、恥ずかしさとまんざらでもない気分に、その日一日は包まれていた。

♪ロック・アラウンド・ザ・クロックは、1954年にビル・ヘイリーと彼のコメッツによってリリースされ、ロックンロールの曲としては最初にビルボード・チャートで1位を獲得した曲である。
細かい説明は後述するとして、前回に書いた映画・アメリカン・グラフィティの2枚組サウンド・トラック盤
1枚目A面の1曲目。
収録するには、ここしかあり得ないといった堂々のポジションに収まっていた「おいロック!」である。
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「1954 US SINGLE Decca」

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「1963 日本盤 シングル Decca」



僕がこの曲を初めて聴いたのは、小学校5年生の頃(1976年)にテレビで観た “ぎんざNOW!” という番組でのことだったと記憶している。
この番組は、TBSで月曜日から金曜日まで、毎日夕方の5時から生放送されていた情報番組で、洋楽のランキングや、ロックバンドの生演奏、素人参加のお笑いコンテスト等、ティーンに向けた情報ならなんでも紹介するといった当時の人気番組だった。

スタジオの観覧席には、学校帰りの高校生が学ラン姿のまま、ほぼ毎日のように映し出されていて、所謂 “不良” と呼ばれる若者の姿を見たのは、おそらくこの時が初めてだったと思う。

洋楽を紹介するコーナーでは、当時のオリジナル・コンフィデンス、通称 “オリコン(現オリコン・エンタテインメント)” の社長・小池聰行を毎回迎えて、英、米の最新音楽情報を割ときちんと紹介していたように思う。
この当時、ラジオや雑誌ならともかく、関東ローカルとはいえ、テレビで、しかも夕方に洋楽情報をオンエアーしていたという事実は、その後どこで語られることもないが、この番組を観ていた世代にとって、その影響は計り知れない。
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アメリカのバンド 、チープトリックが、日本でのみ発売されたライブ・アルバム “チープ・トリック at 武道館” の、日本からの輸入盤が売れたことによって本国での成功を掴んだことは有名な話しだが、この時の武道館にかけつけたファンの殆どが当時の女子中高生だった。
音楽雑誌・ミュージック・ライフなどのキャンペーンが大きな要因の一つと言われているが、その前段として “ぎんざNOW!” に於ける、この洋楽紹介コーナーが何かしらの作用を起こさせていたのはほぼ間違いないだろう。

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「♪甘い罠 で起こる感動的なシーン(客席の女の子たちがレコーディング・バージョンで聴けるこの曲のディレイするヴォーカル・パートを自発的に歌い大合唱となる。日本に来る前のチープ・トリックはライブハウス周りクラスのバンドであり、自分たちの “人気” と “成功の予感” を、まさにこの瞬間知るのである)は、DVDなどで観る度に涙が止まらなくなる」


“チープ・トリック at 武道館” がリリースされた1978年の前の三年間、1975年から1977年まではイギリスのアイドル・バンド、ベイ・シティ・ローラーズの人気が最高潮だった時だ。
日本での人気も凄まじく、丁度その時期の “ぎんざNOW!” では、毎週のようにベイ・シティ・ローラーズの話題を取り上げていたものだ。
そして、その熱狂の真っ只中にいた一人の少女が僕の姉である。
“ぎんざNOW!” を入り口にして、ロックに目覚めるというのは、僕に言わせれば、この頃のローティーンにとっては常套なのである。

とにかく、 “ぎんざNOW!” は、ごく当たり前の日常として、毎日々々何かしらの音楽を流し続けていた。
洋楽を紹介しない曜日でも、アイドル歌手や、アマチュアのバンド、フォークも、ハード・ロックも、要は大人が聴く演歌以外はすべてここから聴こえてきた。
僕の記憶にはないが、キャロルやクールス、チェリー・ボーイズといった日本のロックンロール・バンドも、相当な回数この番組に出演していたようだ。

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「チェリー・ボーイズ 歌詞が強烈だったせいかYouTubeで数年ぶりに聴いたら殆どの曲が口ずさめた。」


遠い記憶なので内容は忘れてしまったが、この番組の中に “青春No.1” という名前のコーナーがあった。
その僅か5分位の短いコーナーのタイトルバックに、この♪ロック・アラウンド・ザ・クロックが流れていた。

この頃の僕は、まだまだ進んで洋楽などを聴くような子供ではなかったし、この “ぎんざNOW!” にしても二つ年上の姉が毎日観ていたのを、ただ横で眺めていただけにすぎない。
それでもこの時、その僅か数秒間流されただけの♪ロック・アラウンド・ザ・クロックを聴いて、単純に「カッコイイなぁ‥」と思ったのである。

音楽を聴いて “カッコイイ” と感じたのは、これより前には小学2年生の時に聴いたフィンガーファイブの歌くらいしか記憶にないが、でもこれは多分にリードシンガーだった晃という少年が、その長髪が、さらにそのサングラスが “カッコイイ” のであって、単純に曲としての “カッコ良さ” でいえばこの ♪ロック・アラウンド・ザ・クロックが初めてであったように思う。

こう書いてしまうと、何か早熟とか、ませているとか思うかもしれないが、何を言っても小学5年生だ。
その感性のキャッチは、バットとグローブ、スーパーカーやアメリカン・ヨーヨーによって、その後いとも簡単に忘れられていくのだし、まだまだこの頃は “1950年代” や “ロックンロール” なんて、口に出して言ったこともなければ、頭によぎったことさえなく、当然のことではあるが、そういった概念があることさえ知らなかったのだ。

ついでに言うのであれば、この “ぎんざNOW!” という番組の中で司会をしていた、せんだみつおが得意にしていたエルビス・プレスリーの♪ハウンド・ドッグを「ユエンナキバラ、ハ~ンドッ~グ!」と歌うギャグのようなものにさえ、可笑しさとカッコ良さを感じていたのだ。
それだけの話しなのである。

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「せんだみつお」


とは言っても、小学5年生の子供に “カッコ良い” と思わせるこの曲は、この頃にわかに高まりを見せ始めていたオールディーズ・リバイバルの機運の中、まだまだ “オールディーズ” という一括りでロカビリーもガールグループも、ドゥーワップも下手するとリバプール・サウンドまでもを含めて呼ばれていた時代にあっては、絶対的に信頼できる名題役者のような存在であった。

音楽が新しい響き、手触りとなって大衆に溶け込んでいく時、それを象徴として伝播していく曲というものがある。
例えば60年代のフォーク・ブームの時はピーター・ポール&マリーやボブ・ディランの♪風に吹かれてなどがそうであるように、ボサ・ノヴァならアストラッド・ジルベルトの♪イパネマの娘、ハード・ロックならディープ・パープルの♪ハイウェイ・スター、パンク・ロックだとセックス・ピストルズの♪アナーキー・イン・ザ・U.Kなどであろうか。

1970年代に起こったオールディーズ・リバイバルブームにとっては、この♪ロック・アラウンド・ザ・クロックが ”またしても” その役割を担っていたのだ。

“またしても” と強調したのは、この曲がその大役を背負うことになったのが、じつはこの時が二度目であり、その一度目とは、今日あるロックそれ自体のそもそもの事の起こり、ロックンロールの誕生その時だったからである。

次の稿では “その時”
時代を1955年にまで遡ってみようと思う。


 其の二 若者文化 

若者文化。
このなんとも味気ない言葉には、そう長い歴史はない。
チャールズ・ディケンズやジェーン・オースティン、スコット・フィッツジェラルド等、百年~二百年前の英米文学を読んでみれば判ることだが、かの時代の若者たちの遊びの種類の少なさには、今日、もう選びきれないくらい多くの娯楽を享受している僕たちからすると背筋を正さずにはいられない思いだ。

勿論、ダンスや遊興などがなかったわけではないが、それは大人も含めた遊びであり、特に若者 “だけ” の価値観や文化ということでいえば、1950年代半ばに起きたロックンロールの大流行まで待たなければならない。

1971年にアメリカで公開された映画 “ラスト・シヨー/The Last Picture Show” は、このロックンロール登場以前の若者たちの姿を捉えるのに恰好のサンプルとなり得るだろう。

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「ラスト・シヨー '71 米」

鬼才・ピーター・ボグダノヴィッチ監督による青春映画の名作といわれているこの作品は、全編モノクロで撮影され、倦怠に満ちた街や、そこに暮らす人々の姿や内面までをも写し取るのに見事な効果を見せている。

物語の舞台が、1952年のテキサスの小さな町ということもあるが、登場する若者たちは皆、浮かれもせず嬉々とした表情さえ浮かべない。
クリスマスに、町の集会所のようなところで行われるダンス・パーティーのシーンにしても、そこで演奏されているのは中年のカントリー・バンドによるテンポの緩い♪Red Hot River Valleyだ。
そしてその会場には、大勢の年寄りたちと共に、主人公ソニーの父親や、ソニーの親友のガールフレンド、ジェイシーの母親までもがダンスに興じたりしているのだ。

映画アメリカン・グラフィティと対比させたところで何等の立証性もないが、もしこの映画の舞台設定が1955年以降だったならば、このシーンに大人の影はなく、音楽も当然これよりは激しいものになっていたはずで、何より自然に描こうとするならばロックンロールが演奏されているはずだ。
さらに、そこで踊っている若者の顔には、あのアメリカ人得意の悪戯っぽい笑顔がなくてはならない。

僕がこの映画をリバイバル上映で観たのは、確か18歳くらいだったと記憶しているが、その時はこの映画の紹介記事に作為的に書かれた “アメグラ的な映画” であるといった宣伝文句につられてだった。
ようするにジェフ・ブリッジスのリーゼントや、ジェイシーを演じたシビル・シェパードのロールアップ・ジーンズにサドル・シューズ姿といった写真にまんまと騙されたのだ。

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「左からティモシー・ボトムズ ジェフ・ブリッジス シビル・シェパード」


だがこうして歳月を重ねて来てみれば、価値感の変遷とはおそろしいもので、今はこの映画の “良さ” をストレートに感じることができる。
退屈で封建的な日常を演出する為の手段として使用されていた、ハンク・ウィリアムスやハンク・スノウ、ピー・ウィー・キング等の挿入歌さえも、現在ヤングフォークスのようなバンドをやっている身としては、これはこれで心地よく耳に響いてくる。
何よりも出演している役者たちの演技の上手さには脱帽するほかない。

そして、この映画ラスト・ショーの時代設定となっていた1952年から3年後。
ある一本の映画が公開されたことによって、いよいよロックンロールの大ブームが巻き起こるのである。

映画の名は “暴力教室” といい、その主題歌がビル・ヘイリーの歌った♪ロック・アラウンド・ザ・クロックであった。

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「ビル・ヘイリー」

思いきって言い切ってしまえば、このロックンロール誕生がもたらしたものとは、人類史上初めて若者が手に入れた自分たち “だけ” の価値感・文化の誕生とも言えるのだ。
要するに “若者文化” である。

ロックンロールを音楽の一ジャンルとして捉えた場合、その紀元を1952年や1954年などとする説もあるが、僕がここで語っているのはポップ・カルチャーとしてのロックンロールだ。
後の稿でも述べるが、この “暴力教室” と♪ロック・アラウンド・ザ・クロックが起こしたアクションは、その後イギリスに飛び火し、さらに遅れて日本にもやって来る。
勿論、ビル・ヘイリーがすべてを為したわけではない、開放を叫ぼうとしていた若者たちは、いずれどこかのタイミングで叫んだだろう。
この翌年、1956年にはエルビス・プレスリーも登場して来る。
ロックンロールがあろうがなかろうが、若者たちのフラストレーションはとっくに化膿していたのだ。
あとはその膿みがいつ溢れ出すかだった。
そんな時、ビル・ヘイリーがそこを引っ掻いたのだ。
ただしそれは、無意識にだった。

 其の三 Rock and Book

先にも述べたとおり、ロックンロールの紀元には諸説あるが、最も一般的に語られてきたのは以下のようなものだ。

1955年に公開された映画 “暴力教室” の挿入歌として使用されたビル・ヘイリーと彼のコメッツによる♪ロック・アラウンド・ザ・クロックが大ヒットを記録し、アメリカ全土にロックンロールの大ブームが巻き起こる。
そして、既成の価値感よりも新しい価値感を求めた若者たちがこれに飛びつき、以降、自由や開放を謳いながら今日の “ロック” へと発展を遂げた。

というのがロックンロール誕生の物語として、今日まで一般的に語られてきたパターンである。
そしてまた、この文章の終わりには、殆どの場合次のようなセンテンスが添えられる。

「映画公開当時は、そのセンセーショナルな内容から各地で暴動騒ぎや上映禁止問題なども起きた。」

と、述べている内容はただ事ではないにもかかわらず、どこか自身無さげで、まるで「役目は果たしましたよ」とでも言い終えて立ち去られたような孤立感を読み手のほうは禁じ得ない。

例えば、僕の手元にある以下のような音楽や映画に関する書籍や雑誌をくまなく読んでみたが、やはり概ね今揚げたような記述が殆どであり、上映禁止や暴動のことについては特に詳しく述べられていない。

「ロックへの視点」カール・ベルツ 著 1972音楽之友社

「ポピュラー音楽200年」青木啓 著 1976誠文堂新光社

「映画宝庫 サントラ・レコードの本」映画宝庫編集室 編 1978芳賀書店

「ロックンロールの時代」フィル・ハーディ / デイブ・ラング 著 1981サンリオ

「BOYS AMERICAN NOTES 雑学少年アメリカ百科」松山猛 / 黒川邦和 著 1983平凡社 

「ロック・ミュージックとアメリカ」林洋子 著 1989シンコー・ミュージック

「リズム&ブルースの死」ネルソン・ジョージ 著 1990早川書房

「the Roots of Rock Vol,1ブルースに焦がれて」 ピート・ウェルディング / トビー・バイロン 編著 1993大栄出版

「ロックの歴史 ロックンロールの時代」萩原健太 著 1993シンコー・ミュージック

「ぴあ映画辞典」ぴあ株式会社 制作 1994京恵出版

「フォーキーブルースな夜」 鈴木カツ 著 1999音楽之友社


それでも、この中では一番古い1972年に出版された「ロックへの視点」にこんな記述がある。

「〈ロック・アラウンド・ザ・クロック〉に刺激されて、1955年の春の終わり頃に、プリンストン大学構内で暴動が起きたとき、新聞記事はいみじくも、その事件を “熱狂的だけれども害の無いものだ” と述べていた」

さらに萩原健太氏が著した1993年出版の「ロックの歴史 ロックンロールの時代」には、以下抜粋。

「僕は何よりも、かつて1955年、映画〈暴力教室〉を上映中、ニュージャージーのプリンストンの映画館で起こったという暴動の話を思い出した。」

「50年代の〈暴力教室〉による暴動は、直後の新聞記事で “熱狂的ではあるけれど害のないもの” と伝えられた程度の事件だったようで‥」

この二人の典拠はおそらく同じものだろう。
この事が何を物語っているかといえば、1972年に出版されたものと、約20年を経て出版されたものとに、これといった違いが無いということだ。
要するに “そのこと” については不明確であり、どの記事もコンテンツはロックンロールの紀元に重きを置いているため、単純に省略されているのだ。

そして、省略はするが省きはしないために、この一連のロック誕生のエピソードには、必ずと言っていいくらい文脈の最後に
「上映禁止や乱闘騒ぎなどがあったようだ」と締めくくられ、 “ようだ” または “ようで” の部分に僅かな引っ掛かりを残す。

ただし、萩原健太氏の “ようで” には、一種の説得力と、ある種の重みは感じる。
この 「ロックの歴史 ロックンロールの時代」 という本は、“ロックンロール誕生からフィル・スペクターまで”
とサブタイトルにあるように1955年から1964年のアメリカのロック・ポップスについて
徹底調査とさすがの考察力でかなり詳しく書かれた本になっている。

バイブル的に読むならこの本がナンバー・ワンだろう。
もちろん、これだけの内容なのだからロックンロール愛好家の中では、当たり前の “定番” として認知されていることは容易に想像がつく。
行間を読めば 「徹底的に調べたが‥ どうやらその “ようだ” 」 なのであろう。

もう一冊、これも典型的だが各地の映画館で若者たちが通路に出て踊り出してしまった現象については
まだ触れていなかったので 「ポピュラー音楽200年」 から抜粋してみる。

「しかしヘイリーの名を世界的なものとしたのは、1955年3月に公開されたMGM映画〈暴力教室〉と、その主題歌〈ロック・アラウンド・ザ・クロック〉だった。映画は大都会の下町の職業学校を舞台に、非行少年の問題を正面からとりあげたもので、あまりのなまなましさから上映禁止さわぎまで起こったほど。この映画のタイトル・バックに使われたのが、ビル・ヘイリーと彼のコメッツのレコードによる〈ロック・アラウンド・ザ・クロック〉だ。これが流れ出すと、場内のヤングたちが立ち上がって踊り出したという。」

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「一瞬、園芸ホールの客席に飛び降りたレオナルド熊に見えなくもないが‥ ようやく探しあてた “場内のヤングたち” の写真。フランスのサイトで見つけた」

それにしても僕は、何度この一連のロックンロール誕生物語りのコンビネーションを目にしてきただろうか。

こういったロックに関する本は、若い頃には相当冊読んだものだが、ここ何年かはまったく遠ざかっていた。
ヤングフォークスを始めた頃から、また少しずつ読むようにはなったが、それは専らロックンロール以前のもの、例えばジャズやシャンソン、最近では “クルト・ヴァイル” や “ジョセフィン・ベイカー” といった100年近く昔のものか、アメリカのフォークや日本の関西フォーク等、比較的地味なジャンルのものばかりだ。

この稿を書くと決め、自分の原点を振り返る作業は実に面白い。と、先に書いたが、振り返って何があったかと言えばそれはロックンロールしかない。

改めて先に挙げたような書籍を読み直し、また映画 “暴力教室” も観直してみた。
以前にこの映画を観たのは、たぶん10代の終わり頃だったろうか。
民放放送の深夜映画でだった。
「ついに‥ あの、例の‥ “暴力教室” が観られるのか‥」といった気分で観始めて
待てども待てども、なかなかロックンロール映画らしきシーンが展開されないことに不満を覚えたものだ。

黒人の生徒たちがピアノを囲んでコーラスをする場面では 「ハープトーンズのように暗くてイマイチだなぁ‥」
と思った記憶がある。(これは僕にしか解らないニュアンスではあるが)
ようは、一瞬ドゥーワップを期待したのに、なんだかとても暗い賛美歌のような歌にがっかりしたのだ。

これは先に言ってしまうし、結局、調べがつかなかったのだが
この時に冒頭で流れた♪ロック・アラウンド・ザ・クロックは、映画・アメリカン・グラフィティなどで
聴いていたバージョンとは違うバージョンだったような気がしてならない。

今回観直したソフトはビデオのVHSで1983年にニュー・プリントされてビデオ化されたものだから
やはり♪ロック・アラウンド・ザ・クロックは差し替えられたのではないかと、勝手に思っている。

僕がある友人に「一番好きな映画は何?」 と質問すると、この “暴力教室” と答えた人間がいた。
その時は10代に観たきりだったから「本当?あんな暗くてしみったれた映画が好きなの?」
と返したような記憶があるが、件の “ラスト・シヨー” と同じで、改めて観直せば、やはり経年はこの映画に対する僕の評価を上げさせた。
単純に面白かったし、それになんとなく気づいたこともあった。

それは、暴動騒ぎは別として、 “なぜ!?” この映画が上映禁止になったのかという疑問への答が
解りはしないまでも、 “おそらく” こうではないのか、といった手がかりのようなものが掴めた気がしたのだ。

ここでひとつ確認しておかなければならない。

なぜ、♪ロック・アラウンド・ザ・クロックを語るのに、映画・暴力教室を語らなければならないのか。
そしてそもそも、なぜマージー・ビートを語るのに♪ロック・アラウンド・ザ・クロックを語るのかといったことも
だ。

それは、僕が、僕ら世代が、と言い換えてもいいと思うが、ロックンロールの何を受け取ったのかということに帰結していく。
ただ、楽曲としてのロックンロールのあんな曲、こんな曲を受け取ったのかと言えば決してそうではない。
ポップ・カルチャーとしてのロックンロールのあれやこれやを “ゴソッ” と受け取ったのではないだろうか。

ロックンロールがその後のロックと直に繋がっているのは、このカルチャーとしての精神に他ならず
故に、音の手触りは変化し続けてもジャズがボサノヴァに変化したようなジャンルとしての脱皮をみないのだ。

ロックンロールが誕生して、そこから今日のロックにまで繋がってきたというのに、その精神的な部分を
決定づけた映画・暴力教室については、あまりにも語られることが少ない。
それは多分にエルビス・プレスリーの存在が過去を振り返った時に1956年の辺りで、あの例のつま先立ちで
日本のお化けのようなポーズをして塞いでしまっているからだろう。

確かにエルビスの腰の動きはスキャンダラスだったかもしれないが、今からじっくり解き明かそうとしている
この映画・暴力教室は、スキャンダラスのひとつ上
“スキャンダル” そのものであった気がしている。


 其の四 Blackboard Jungle


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「暴力教室 '55 米」

1955年3月に公開された映画 “暴力教室(Blackboard Jungle)” は、その当時社会問題となりつつあった反抗する不良少年と高校教師の対立を描いた作品で、主演はグレン・フォード。
不良生徒役は、日本ではその後テレビ・ドラマ “コンバット('62米)” でサンダース軍曹を演じたビック・モローが起用された。

監督を勤めたリチャード・ブルックスは、社会派作品や文芸作品を得意としていた監督/脚本家で、1967年にはトルーマン・カポーティー原作の “冷血(In Cold Blood)” という素晴らしい作品をのこしている。

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「冷血 '67 米」

ちなみに、この “冷血” という映画は、1959年にカンザスで実際に起きた農場主一家惨殺事件の実話を基にした作品で、二人組の犯人のうちの一人、ロバート・ブレイクという俳優が演じたペリー・スミスは、劇中黒のライダース・ジャケットにリーゼントヘアーという姿で登場し、メキシコへ逃亡を謀ろうとしたり、時おり肩からギターをさげていたりするために、僕などは終始このペリー・スミスが♪ラ・バンバなどのヒット曲で知られるロックンロール歌手・リッチー・バレンスと重なって見えて仕方なかった。

実際のペリー・スミスはアイルランド人とインディアンの混血で、リッチー・バレンスのようにメキシコ系アメリカ人ではないが、単純にペリー・スミス本人も、またそれを演じたロバート・ブレイクも、容姿そのものがリッチー・バレンスとようく似ているのだ。
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「上・実際に事件を起こしたペリー・スミス 中・それを演じたロバート・ブレイク 下・何の関係もないリッチー・バレンス※バレンスは事件が起きた1959年11月にはすでにこの世には亡く同年の2月に飛行機事故により死去」

安っぽい論考を敢えて言うならば、この映画を単に映像だけで見た場合、テディボーイ二人がちょっとした悪さをしながら気ままに放浪しているといったロード・ムービーやB級青春映画のようにも見える。
だがその実は、それまでにはあまり例を見なかった動機を持たない場当たり的な殺人事件、 “理由なき反抗” ならぬ “理由なき犯行” を描いた、これもまたとんでもない問題作なのだ。

少し長くなったが、映画 “暴力教室” を撮ったリチャード・ブルックスという監督は、このような問題作を提示し世に問うていくような人物であり、決して娯楽作品として若者を鼓舞させるような映画を作ったわけではないのだ。

“暴力教室” のオープニングに挿入した♪ロック・アラウンド・ザ・クロックを選曲した経緯にしても、“今どき” の若者の好みが解りかねたため、教師役のグレン・フォードの息子が持っていたレコードの中から選んだと言われている。

映画はまず、冒頭文から始まる。
この冒頭文については後で改めて述べるが、とりあえず今は列記するにとどめたい。以下冒頭文。


アメリカの学校制度は
社会にも若者達にとってもよく整備されている
しかし最近問題になっている少年非行が
学校に飛び火する心配はないのだろうか
この映画の各シーンや事件はフィクションである
しかしあらゆる問題の解決には早期治療が有効と思われる
この「暴力教室」は
そういった意図のもとに製作された

この冒頭文が流れている間、バックにはマーチング・バンドのスネア・ドラムの音が聴こえている。
何かを予感させるような静かな導入の仕方だ。
そしておもむろに♪ロック・アラウンド・ザ・クロックが流れてタイトルが画面に現れる。

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ニューヨークのダウン・タウンにある職業高校へ、グレン・フォード演じるリチャード・ダディエが教師の職を求めて面接に来るところから物語りは始まる。

門を入ると、明らかに不良とわかる生徒たちが、何をするわけでもなくそこらじゅうにたむろしている。
次の校長との面接の場面では、この先の展開を暗示させるような、こんなやり取りがある。

校長がダディエに対し「君は声が小さいが、教室の後列まで聞こえるかな?」と指摘をする。
それに対してダディエが「大学では‥ 演劇部にいたので声はよく通ると言われました」と応え
シェイクスピアの史劇 “ヘンリー五世” の台詞を諳んじてみせるのだ。

日本ではあまり知られていないがイギリスではとても有名な台詞だ。


もう一度あの突破口へ突撃だ、諸君、もう一度!
それが成らずばイギリス兵の死体であの穴を塞いでしまえ。
平和時にあっては、もの静かな謙遜、謙譲ほど男子にふさわしい美徳はない。
だが、いったん戦争の嵐がわれわれの耳元に吹きすさぶ時は
虎の行為を見習うがいい。

〈ヘンリー五世 シェイクスピア著 小田島雄志訳 白水社 白水Uブックス〉より引用 

これに感心した校長は、その場ですぐにダディエの採用を決める。

この引用は実にうまい。
というのも、シェイクスピアの史劇 “ヘンリー五世” は、イングランド王ヘンリー五世の生涯を
フランスとの百年戦争を背景に書かれたもので、この台詞は数の上では圧倒的に不利だったイングランド軍が、その数およそ3倍の2万とも言われているフランス軍をアジャンクールで打ち破る前の、オンフルールの攻城戦の場面に於いて、ヘンリー五世が自軍の兵士たちに向って言った台詞なのだ。

捉えようによっては、数に勝るフランス軍を生徒達に、そして上の台詞にあるように “戦時” になれば虎の勇猛さでもって一歩もひかないイングランド軍をダディエ自身になぞらえているともとれるのだ。

物語りはその後、ほぼこの台詞が暗示していたような展開となる。

英語教師として赴任したダディエは、初日から積極的に不良生徒たちを更生させようとするが
やはりそれは、そう簡単なことではなかった。

中でもビック・モローが演じた一番の不良生徒・アーティー・ウェストは、不良少年というよりは
ただの犯罪者くらいにしか見えない。
現にアーティーは学校の外でも強盗をし、ダディエや他の教師に暴行を加え
ダディエの身重の妻にはストーカーまがいの行為まで行っている。

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「手前 アーティー・ウェスト」

また他の生徒にしても、女教師にレイプをしようとするなど、これはすんでの所でダディエによって
阻止されたが、いわゆる僕らがイメージする “熱血教師” ものとは生徒の荒み方のレベルが違うのだ。

劇中次々と起こる、ダディエが直面する困難の中で、もっとも重要な場面と思われるのが
人種差別に絡んだこんなシーンだ。

授業中、ふとした会話のはずみから、メキシコ系アメリカ人の生徒・モラレスのことを
黒人のミラーが「こっちは色つき同士でね」と肌の色のことで皮肉のような事を言う。
「なんだと!」とダディエが敏感に反応すると、すかさずアーティーが
「つまりモラレスが Spic だということ」と解説を入れる。

この “Spic” というのは主にヒスパニック系に使われる蔑称で、映画の字幕では “メキシコ系” と訳されているが、実際の台詞を聞くと “Spic” と言っている。

売り言葉に買い言葉で、すぐにモラレスもアーティーに対して「うるせえ」とやり返すが
この時も実際の台詞では “Mick” とアイルランド系移民に対して使われる蔑称を言っている。
もちろん、これはアーティーがアイルランド系アメリカ人だからである。

このやりとりに、少し過剰気味に反応したダディエは
「この教室では禁止しておく 今日以降は人をケナす言葉は使うな 分ったな!」
と言い放ち、必死に、そして真剣に、その後も生徒たちに人種差別の不道徳性を説いたのだが。

授業も終わり職員室に戻ったダディエは校長から呼び出される。
今起きた一件がもうすでに何者かによって、校長の耳に入っていていたのだ。
勿論それはアーティーが手を回し、当然事実とは違った内容としてである。

校長曰く。
「教室で特定の人種や宗教を中傷したという報告があった 教室で Nigger という言葉を使ったか?」

確かにダディエは黒人の蔑称である Nigger とは言ったが、もちろんこれは教育のために言ったのだ。
その事を訴え、校長にも喰ってかかり、誤解も解けたのだが、この教室からつづく一連のシーンのダディエは
終始ヒステリックに描かれている。
これは、この当時の平均的なアメリカの白人が抱えていたジレンマを映し出しているようにも見える。
同じ白人である校長は、人種的偏見は絶対にいけないと言いはするものの
次のような台詞でその心理を吐露している
「肌が黒でも黄色でもだ、白人の生徒と同じに教育しろ! わかっとけ、今の乱れた世に火を注ぐ事はないぞ!」
ようするに “事なかれ主義” というだけなのである。

校長室を出たダディエの憤慨と興奮はまだ治まらない。
そこへたまたま通り掛ったミラーを見つけると、校長に偽の報告をした事を問いつめる。
当然、ミラーは犯人ではないから、この時ばかりは普段は冷静なニヒリストのミラーも
強く反発をする。
その時、思わずダディエの口から「 Nigger 」と出てしまう。
すぐに謝罪をするものの、強い自責の念と、ダディエの、または白人としてのジレンマは
そう簡単に払拭できないことを痛感する。

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アーティーが睨みを効かせているせいか、誰一人としてダディエに味方するも者もなく
物語りは進んでいくのだが、シドニー・ポワチエが演じた黒人の生徒 “ミラー” だけは
不良生徒でありながらも徐々にダディエとの距離を縮めていく。

そのきっかけとなるのが、黒人の生徒たちがピアノのを囲んで賛美歌を歌うシーンだ。

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物陰でこの歌を聴いていたダディエが「クリスマスのショーに出ろ」とミラーに持ちかけ
「だから練習してた」と応え
二人は段々と会話するようになっていく。

荒れる若者と教師や大人たちとの対立を軸に、小競り合いや事件を絡めながら、ストーリーは結局、当初は反発していたミラーが教師ダディエを助け、一番の問題児とされていた不良グループのボス、ビック・モローが演じたウェストを屈服させるという結末を迎える。
その最後のシーンではこんな象徴的なシーンがあった。

暴れていたウェストがダディエの気迫に押され敗北したあとも、まだ悪あがきのように教室でナイフを振りまわす生徒がいた。
その最後の一人を取り押さえるために、ユダヤ人らしき生徒が教室の隅に掲げられていた星条旗を掴み、そのポールの先端で暴れる生徒の胸を付く。
衝撃に一瞬たじろぎ、ナイフを手放したところを皆で取り押さえ映画は終演となる。

「星条旗のもと、異人種が争うことなく共存して生きていく、それがアメリカである」
といったお説教でもされたような “オチ” がついて映画は終わるのだが
リチャード・ブルックスがつけたこのオチも空しく、これより先若者たちはさらに激しく
さらに声高に大人からの開放を叫び始めるのである。

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それは皮肉なことに、自身が作った映画と、自身が意図せずして “選んでしまった” 挿入歌
♪ロック・アラウンド・ザ・クロックによって
であった。

さて、残念なことにこの映画の日本でのDVD化はまだ為されていない。
ストーリーは大体今書いてきた通りだ。
それをふまえて、次の稿では僕が数年ぶりに観直して、はたと気が付いた事について述べたい。
なぜ、上映禁止になったのかというその点についてだ。

――――― つづく ―――――





2012-03-23 : 小林ヨシオblog : コメント : 1 : トラックバック : 0
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ペッタン、ペッタン お餅つき 今更、新年 おめでとう!

ハイ! みんな!
ハイ! フォークス!
ハイ! 辰年!

おめでとう!
無事に新年を迎えることができました。

今年も、大好きな音楽を聴き、演奏できる喜びに感謝‥ おっとっと、、
あぶねぇ、あぶねぇ‥あぶなくツマンナイものに感謝するところだった
えーっと‥ その喜びを確認し、、、
確認じゃないなぁ‥

あ、その喜びを噛みしめて!
ヤングフォークスのメンバーともども、今年も更に良い音楽をお届けしていきたいと思います!

本年も宜しく!
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今年の年賀状は、“ハロー・ドーリー!” を彫りました。

ホームページの Information に 
「“東郷エツコ”の曲を、ヨシオさんが作詞した『ハロートーゴー』の映像をアップしました。」
と、ありましたが、正しくは
♪ HELLO,DOLLY という、ブロードウェイの大ヒット・ミュージカルのタイトル曲に
僕が訳詞を付け、“ドーリー” を、エッちゃんが歌うので “トーゴー” と洒落てみたのです。

ですから、エッちゃんが作曲して、僕が歌詞を書いた作品ではありません。

“ハロー・ドーリー!” について、少し説明しておきますと、、
あ、いつものヨシオ節で超特急で説明しますと‥
では、1969年に公開された映画のほうで!

ドーリーという未亡人がおったんさ、そのドーリーはかつては優雅に暮らしておったんだけんども‥
旦那が亡くなってからは慎ましく暮らしておったんよ。
ほんでな、結婚相手の斡旋のような、万屋まがいのことをしておったんだけんどもぉ‥
自分がその顧客に恋をしてしもたんよ‥
ほんで、ほんで、ミュージカルだから踊ったり歌ったりしながらスッタモンダがあって‥
最後は、いろんなこと解決すんのに、かつて旦那はんと夜な夜な訪れていたレストランのような
ラウンジのような店に再び現れるっちゅう展開になるんよ。
ほいで、そこの支配人やら、コックやらウエイターやらは、この店のアイドルだった
ドーリーがやって来るっちゅうんで、そりゃあもう大変な騒ぎさぁ!
空中回転したり、跳んだり跳ねたり、ひっくり返ったりしてると‥
Ta-daー!(←これ英語で所謂「ジャジャーン!」ね!)
颯爽とドーリー登場!
支配人のルディに「ヘローーー、、ルディ‥」と、静かに歌い始め
つづいてコックのハリーに「ウェル‥ハローーー、ヘァリー‥」てな感じで語り
音楽が徐々に息づいて来るってぇと今度はウエイターたちが「ヘッローッ!ドッリー!」
とやり返す‥的な!的な!

これ、小学校の時にテレビで観ました。
その時に、ウエイターがどこにも手を付かずに回転するシーンに度肝を抜かれました。

あれから数年経ち、昨年の夏くらいに観直してみたら、今度は音楽に魂を抜かれました。

ドーリーを演じたバーブラ・ストライサンドの歌‥
サッチモと絡むあたりの歌を聴いちゃうと‥

巷から聴こえてくる歌声が、一気に物足りなく思えてきます。
残念なことですが。

今、世の中で流れている歌って、音楽的には簡単で、単純で
スリルがなく、個性のないものばかりです。

Jazz 云々を言っているのではなく、ロックだろうが、歌謡曲だろうが(歌謡曲なんて‥今はないかな‥)
ホンワカだろうが、歌姫だろうが、エグイ猿だろうが、アーカーベーだろうが
もう少しテクニカルな歌を歌っていかないと‥
リスナーが安っぽく、または軽く見られているようで‥憤懣やるかたない!

例えばこういうことです。

庶民が日常に趣味として、スポーツに親しもうという欲求があります。
そこで、スポーツメーカー側が勝手に「ゴルフや、テニス、スキーや、軟式野球は、少し大変そうだから‥」
と、想定して、ゲートボール用品や、ゴムまりばかりを生産し、店頭に並べているような状況なのです。

良いですよ!僕ら世代は!
それこそ、ありとあらゆる音楽がそこらじゅううに流れていた、今思えば幸せな時代を
通過してきましたから。

バーブラのように歌えるシンガーは、今の日本には一人もいません。
テクニックだけの話しでもなく‥
石川セリのように歌う人も見当たりませんが‥ね。

僕はといいますと‥
あぁ‥ 僕は “捨て犬声” で、なんとかやらさしていただいております。


先日、テレビでチラッと観聴きした、とある名前も知らないJ-Pop?シンガーが
なんだか‥最近の若い人たちにも Jazz を聴いてもらいたいからとかって‥
歌ってました。
♪You'd Be So Nice To Come Home To かな‥
上手かったんですよ‥ うん‥ 確かに!
ただ‥
なんか‥
“作り声” がすぎるというか‥
森進一の♪おふくろさん ではなく
森進一の “ものまね” の ♪おふくろさんを聴かされたような感じとでも言いましょうか‥
そんなでした。
で、リズムが良くないんですね‥ あ、すいません‥ どこかの誰かさん‥ 生意気言いまして。

とにもかくにも、その人は全曲 Jazz のナンバーを収めたアルバムをリリースしたらしいです。
好企画だと思います。


映画 “ハロー・ドーリー!” を監督したのは、“雨に唄えば” でお馴染みの俳優ジーン・ケリーです。
ハリウッドのミュージカル・スターであり、一流のダンサーでもあったジーン・ケリーが
カメオ出演をするでもなく、また振り付けに口出しをするでもなく、ただひたすら監督業にのみ
専念して作られた作品です。

公開された1969年といえば、ブロードウェイは別として、映画の世界ではすっかりミュージカルなど
製作されなくなっていた時代です。

語り草になっている、レストランでのダンス・シーンは本当に圧巻で
ジーン・ケリーの「ミュージカルってこんなに楽しくて、こんなにすごいんだよ」って声が
聴こえてきそうです。

この作品は、ジーン・ケリーの意地だったのではないでしょうか。
そんな気がします。

ドーリーが自分の恋心に気付き、一人公園で想いを巡らせるシーンで歌われる
♪パレードが通り過ぎる前に という曲の歌詞があまりにも素晴らしく
すべてノートに書き取ったので少し紹介しましょう。

■パレードが通り過ぎる前に

パレードが通り過ぎる前に
独り残される前に

私も腰をあげよう
まだ間に合ううちに

でも最近 ふと気がついてみれば
もう長いこと一滴の涙も流していない

飛びあがるような喜びの瞬間
それもないの

ホレスがいつも言ってるわ
“世の中バカばかり”
確かにそうね

バカの群れの一人になるか
独りぼっちのバカでいるか

もう行くわ
人生にもう一度参加するの

私の暮らしに人生を取り戻すの
パレードが通り過ぎる前に


だいぶ割愛しましたが、だいたいこんな感じの歌です。

僕が書いた “ハロー・ドーリー!” の訳詞は、元々の内容と
弱冠、この ♪パレードが通り過ぎる前に をイメージして書きました。

少しだけ紹介しますと。以下、♪ハロー・トーゴー

 今夜のこと きっといつか
 懐かしく思える日まで

 元気に 前を向いて
 人生からはみ出しちゃだめよ

 恋をして たくさん泣いても
 ハロー! と笑顔で

 恋をして ハメを外しても
 ハロー! と笑顔で

 だから ハロー!と笑顔で
 そうよ ハロー!と笑顔で
 そして また会いましょう!
 ハロー!


サッチモ、ケニー・ボール、ルイ・プリマ‥etc
と、“ハロー・ドーリー!” は沢山のアーティストが歌い、演奏していますが‥

ここではこれを紹介しておきます!
ペトゥラ・クラークのバージョンです。
お暇な方は是非、じっくり堪能して下さい。



男性バックダンサーが、敏いとうとハッピー&ブルーのように色っぽいです。
女性ダンサーの端折ったチャールストンも素敵です。

ペトゥラ・クラークの歌ってキレがあって、キンキンした感じの中にも艶があります。
大人の可愛さもある!
好き!これ!


さぁて‥
そろそろ本題にいくかなっと。

行ってまいりました。
先週の日曜日。
Ta-da-!
新春 デキシーランドジャズ・ジャンボリー Vol,4 於■日比谷公会堂
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出演
有馬靖彦とデキシージャイブ
デキシーキャッスル
中川喜弘とデキシーサミット
外山善雄とデキシーセインツ
薗田憲一とデキシーキングス
スペシャル・ゲスト 北村英治

こんな素晴らしいジャンボリーがあったとは‥ 
ジャンボ鶴田と二谷友里恵が結婚したくらいびっくりですね!
ジャンボとリー‥  お暇な方→ http://oshiete.goo.ne.jp/qa/901800.html
(あ、鶴田はもういないんだった‥)

僕らヤングフォークスも、昨年末に Sing Out! vol,5 で
念願のディキシーランド・ジャズ風セットをお見せすることができました。

もう、この “ディキシーランド・ジャズ愛” は、かれこれ数年前から抱いておりましたが
ようやくカンカン帽も全員で被ることが出来、オモチャのラッパも吹き、やれやれと
安堵していた矢先、このコンサートのことを知りました。

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↑ これ、27浪して日比谷大学に合格した二人 じゃないですからね!


僕が作った ♪七日ぶりの日曜日 ♪寂しい仔鹿 ♪夜の天使 といった曲は
すべて、このディキシー・スタイルで演奏することを念頭において曲も歌詞も書きました。

ですから、このデキシーランドジャズ・ジャンボリーは、観に行く前から
期待と不安が入り交じり、数年ぶりにソワソワ‥ソワソワとしていましたが‥
だってほら‥ 「なんか‥ショボ!」ってこと‥あるじゃないですか。
変に期待ばかりが膨らみすぎて。

結果は、、、素晴らしい!の一言でした。
確かに出演されていた方々は、僕なんかよりもはるかに年上の(そうでもないか‥な‥)
ミュージシャンばかりでしたが、久し振りに自然と「カッコイイ‥」と、口が勝手に言ってました。

ニューオリンズ・ジャズですから、初っ端は出演者全員の行進で幕を開けました。
これがいきなりカッコ良かった!
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そしてステージに勢揃い。

司会者の挨拶から始まって、トップは “有馬靖彦とデキシージャイブ”
紳士な感じの演奏で、僕も徐々に冷静さを取り戻してきました。
いや、終始興奮していたんですが、ようやく音楽に耳を傾けられました。

上の写真、左端の赤いジャケットの人たちです。

そして、2番手は “デキシーキャッスル” の演奏です。
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右端のバンジョー奏者の青木研さんは、デキシー界屈指のバンジョー弾きだそうです。
このバンドは、新宿のシェーキーズ(ピザ屋)でハウス・バンドとしてキャリアを始めたと言っていましたから
80年代後半であれば、僕は彼らの演奏を聴いていたことになります。
ザ・ストライクスの当時、スタジオの帰りに何度もここでピザを食べ、ディキシーランド・ジャズを聴いて
いましたから。
良い時代でした。

ここで一旦、休憩に入りました。

客席は、ほぼ満員でしたが、9割‥ いや、9割5分は、ご高齢の方たちばかりで
ということは当然、喫煙者の比率も高く、通路はこんな感じになります。
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ちなみに、会場の日比谷公会堂は昭和4年に完成した建物なので、雰囲気も良いですし
その凛とした空間は、少しもギラギラしたところがなく、それだけでも行く価値のある場所です。
なぜか、売店にはベッカムのポスターが貼ってあったりして、格調とか、そういった気負いがないんですね。

ロビーで物販をやっていましたので、ひょいと覗いてみますとこんな本が売られていました。P1181605_convert_20120120095500.jpg

手に取って見てみますと、著者のところに 外山善雄・外山恵子 とありました。

僕は、この連名の著作者の本を一冊所有していましたので、そこにいた販売員の方に
「この本は、以前に出ていた “ニューオリンズ行進曲” と同じ内容のものですか?」
と、尋ねたところ、なんとその方の隣でせっせと、この本に署名をしていた方が外山善雄さんでした。
外山さん本人が「あぁ、あの本とは違う内容ですよ」
と教えて下さったので「では、一冊購入します」と言って、代金を渡したところ
お釣りやなんかを用意してくださったのが、外山さんの奥様でいらっしゃる外山恵子さんでした。

いや、びっくり!

で、ずうずうしくも「写真を撮らせていただいてもよろしいですか?」
と、伺ったところ「どうぞ、どうぞ」と笑顔で言っていただきましたので。
ちゃっかり‥

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サインもしっかり‥   ↑ 外山さん!ナイス、スマイル!

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タカオもちゃっかり‥

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↑ だから‥ 日比谷大学の学長から「入学おめでとう!27浪したかいがあったね!」じゃないからね!



この日に購入した 『聖地ニューオリンズ 聖者ルイ・アームストロング』という本は写真集でした。
外山夫妻がニューオリンズで暮らしていた5年間(1968~1973年)に撮りまくった写真は
どれも素晴らしく、また力強く、音楽やその土地への愛情がビシビシと伝わってきます。

被写体のほとんどが黒人で、さらにそのほとんどが楽器を持ったり、踊ったりしている。
要はメロディーとリズムが聴こえ、伝わってくる写真ばかり。
その背後には貧しさがあり、だからこそ笑顔は宝石のように輝いている。

この写真集を眺めていて、ふと思いました。

仮に、今の日本経済が本当に破綻してしまったら、きっと音楽はまた蘇生するのではないか。
落ちるところまで落ちたら、あんなふうに人々は笑うんだろうと。

こんな、傍観者的な無責任な感慨に、なんの意味もありはしないけれど。
このジレンマはすべての芸術が背負った宿命なんだと。

音楽はミュージシャンのものなんて思ったら大間違いで、あの日比谷の会場にいたお爺さんたちや
写真集の中でパレードに群がる人々のものなのだ。

こう考えてくると、どうしても去年の震災のことに思い至る。

震災のあと、東北の人たちが唱歌♪故郷を歌っている映像をニュースで見た。

毎日のように、いろいろなアーティストが現地に行ったり、または自身のコンサート会場で歌を届けている中
この被災者自身が、涙を押さえることも叶わずに歌っていた♪故郷。

キリスト教徒であった作曲者の岡野貞一が、賛美歌からの影響のもとに書かれた♪故郷と
例えばニューオリンズ・ジャズの代名詞である♪聖者の行進とが、どこか不思議な符合をもって
重なり合う。

音楽の真理とは、そういったものなのだ。


さてさて次のバンド。
この日3番目に登場したのは “中川喜弘とデキシーサミット” でした。

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写真右が中川喜弘さんです。
楽しいおしゃべりで、会場を盛り上げていました。
演奏も、もちろん素晴らしかったです。

写真左のバンジョー奏者、ジャック天野さんが歌ったエノケンの♪月光値千金‥
大変に感銘を受けました。

ちゃっかり‥パートⅡ
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伝説の方‥らしいです。

そして、4番手が “外山善雄とデキシーセインツ” です。
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外山善雄さんは、“日本ルイ・アームストロング協会” の会長もしておられるそうで
件の “ニューオリンズ行進曲” という本を読むとわかるのですが、サッチモを愛して愛して
止まないお方なのです。

ハンカチと笑顔は、やはり日本のサッチモには欠かせません。

突如!僕のフェイバリット中のフェイバリット曲♪I wanna be like youという曲を
演奏したのにはびっくりでした。

ディズニーのアニメ―ション映画 “ジャングル・ブック” の中で、ルイ・プリマによって歌われたナンバーです。

ルイ・プリマは、この作品で、猿の王様の吹き替えを担当しています。
その、♪I wanna be like youが歌われるシーンは、ディズニー・ファンにはお馴染みだと思いますが‥
実に楽しく、何度繰り返し観ても見飽きない、至福の時といえるでしょう。
パーフェクトなディズニーの仕事ぶりに脱帽します。

アップしちゃおうかなぁ‥

しちまいました!



↑ このシーン‥ ヒョウとクマは男の子の味方なんですよ! 猿が悪者なんです!念のため!


誰よりも外山さんが一番でしたが、ディキシーランド・ジャズのプレイヤーたちは
皆、終始笑顔です。
小難しいジャズのように、顔をしかめてプレイするなんてことは殆どありません。
何よりも “楽しそう” なのが、ディキシーランド・ジャズの良いところです。

いよいよ大取り。
薗田憲一とデキシーキングスです。

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昨年末に亡くなった、立川談志の御贔屓バンドです。

薗田憲一氏亡きあと、息子さんがバンマスを引き継いだことにより、ディキシーの名門バンドの
活動キャリアは、まだまだ更に続いていきます。

最後もまた、出演バンド全員での行進です。

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そして、場内も一体となって、♪上をむいて歩こう ♪Sing Sing Singでフィナーレ‥
と思いきや!
♪聖者が街にやってくる
で! お、し、ま、い。   あ~ぁ! 終わっちゃった~!


というわけで、“デキシーランドジャズ・ジャンボリー レポート!”
誰に頼まれたわけでもないのに!いまだ冷めやらぬ興奮をもってお届けしました!


それでは皆さん!このサイト上でか、はたまたライブ会場でかはわかりませぬが!

ハロー! と笑顔で!
また会いましょう!

毎日々々自転車での通勤があんまり寒いんで‥ じゃあ!ってんで半端じゃなく着込んでるもんだから
家に帰って来ると汗だくになってるでやんの!
で! オ、ナ、ジ、ミ、ノ、ヨシオ・アームストロング小林でしたー!(ストロング・小林じゃないからねー!)
2012-01-21 : 小林ヨシオblog : コメント : 0 : トラックバック : 0
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THE CAMERA LOVES ME? んー んー 逆、逆!

Hi! みんな!

寒いね! みんな!

みんな元気かなぁ!

みんな‥忙しいんだろうな‥

オロナミンナCとか飲むといいかもよー!(ドデカミンナ・ストロングも可!)


と‥、と、と、と、ヨシオの “しつこ節” がでたところで、僕は元気です。

さっきまで風邪ひいてましたけど‥元気です。

昨日まで‥体温が35度より上にいかなかったけれど‥も!

元気です!

明日、Sing Out!開催しますのでね!
みんな、みんな、おいでよね!

僕は、チャーリー&ザ・スリークールキャツと一緒に数曲歌う予定です。
久し振りにマージー・ビートの曲を作ったので、それを歌わせてもらいます。

タイトルは
♪君になれたら っていう曲です。

君になりたいよ 今すぐに
君になって僕を愛したい

といった感じの少しせつないナンバーです。 お楽しみに!

勿論!ヤングフォークスも盛り沢山でお届けします!

今、丁度‥ディキシー・セットで被る予定のカンカン帽を手作りで
こしらえているところですし‥
帽子に巻くリボンを接着しているんですが‥
なかなかどうして、、、糊がすぐには乾かないんですねぇー、、これが!
この作業しながら‥ 「オレ!どんだけディキシーランド・ジャズ好きなんだよ!」
って、つくづく思いました。
上手く完成しますように!


そんで‥

えぇーと、冬ですが‥  行きます!
前回の続き!


『シリーズ藝術の秋② 写真編』

いや~、秋でしたなぁ!
この間まで!

まいったなぁ‥焼き芋とか食べて‥ まいった、まいった‥ サンマとか美味しくて‥

そんなこんなで‥ ついに‥ 買っちまいました。
カメラってやつを。

オリンパスってぇ、最近なんだか妙~にバタバタしてる会社が出して
宮崎あおいってぇ、最近なんだか妙~にバタバタしてる娘さんが宣伝しなさってた
E-PL2ってぇ、代物をぉ、ついつい‥ いえいえ‥ 前から
ずっとずっと欲しかったんでさぁね。

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簡単な操作でプロみたいに撮れるんですね‥
最近のは。

そんなこともあって。

撮りまくってます!

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この日のライブは、1曲目にバディ・ホリーの♪イッツ・ソー・イージーを
演奏しましたので、ここはやはり‥ バディにちなんで全員、眼鏡で登場しました。

なんか‥ 純君のやつ‥ 手塚治虫の “ランプ” みたいですね。
いい味出してます。


今は新しいオモチャを与えられた子供のように、辺りかまわず、バシバシ、バシバシ
撮ってはニヤついています。

カメラ最高! オリンパス・ペン最高!

うちのトイレには、いつ何時でも何かしらの本がおいてあります。
今は、及川恒平の詩集と、なんか‥70年代のカルチャーを紹介した本と
60年代のミュージシャンばっかりを集めたポストカード風の写真集。

それともう1冊が、アンリ・カルティエ=ブレッソンという人の小さな写真集です。

これらを用を足しながらパラパラとやっておりますが‥

このアン・カルの写真が良いんです。
あ、例のごとく誰も “アン・カル” とは呼んでいませんけ、れ、ど、も‥

なんていうか‥ 易しいんですね。
“優しい” んじゃないですよ!
易しいんです。

ただ眺めれば良い!
そこには、人間の滑稽な姿や、悲しみ、怒り、畏れ、歓喜などの‥
そうです。
我々が生まれて来てからずっと見続けてきた人間の、人間 “らしさ” が
さりげなく写されています。

去年、東京都写真美術館に「木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン・東洋と西洋のまなざし」
という展示を見に行きました。

この時に決定的に好きな写真が二点ありました。

一枚はこれ

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こういうの‥
こういうとこに載せていいのかなぁ‥

ネット上ではブログやなんかに “みんな” 好き勝手に載せているのを
結構見かけたので‥ ま、いいか!

これともう一枚あった写真は、あいにくと僕の持っている写真集には入って
いませんでしたが、心には焼き付いています。 今だに。

ではこの辺りの話しは、次回に書くとして‥ (唐突だぁ!)

もうそろそろ、明日に備えなくてはいけないので‥

最後に、ここ最近のベスト・ショットとベター・ショットを
ご覧下さい。

ヤンフォの写真と同じ日に撮った、当日共演をしたコッツリ‥
じゃなくて…リコッツの御三人と、ドラムの林君です。

林君のは、僕との一瞬のコミュニケーションによって生まれたベスト・ショットです。

三人のほうは、なんだかローリング・ストーンズのような…
楽屋の光と、通路の闇のコントラストが生み出した、どこかハッとさせるベターなショットです。

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口元がナイスだ!

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出番前の緊張感が伝わってきて、ドキドキしてしまう!


というわけで、今日は自分で撮った写真をアップする練習もかねて
とっ散らかしてしまいましたぁ…

また写真のこと書きます。

今や、カメラは誰でも常に持っている(携帯電話とかね!)時代ですからね!

では明日!

いんや今日!

新宿二丁目でお会いしましょうぞ!


んで… ここまで出来ました。

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あとは…
これをくっつけて一丁あがり!

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えぇっと、えぇっと、今… 体温計ったら… 
一週間ぶりに36度こえて36・1度になったでやんの!
…て、ことは…今、36・1度の風呂に浸かったら…
熱くも寒くもないのかな?…って、一瞬思ったけど…
部屋の温度が36・1度だったらめちゃくちゃ暑いしな…
でやんのー!
でオナジミンCのヨシオでしたー!



今夜はニュー・オリンズでジャズろうぜ!
ヒュー!ヒュー!

































2011-12-23 : 小林ヨシオblog : コメント : 1 : トラックバック : 0
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シリーズ藝術の秋① 映画編

ハイ!フォー     くすっ!(やっちゃった‥)

お元気でスカー    ンク!(プ~)

風邪が流行っていますので、うがいを沢山してくだ‥ サイ!カバ!ワニ!(Zoo)

先日のSing Out! vol,4 
御来場ありがとうございました!

三軒茶屋の秋風が、とても爽快に僕の頬を撫でて吹き過ぎて行きました。
仕方ないから、秋の到来に認め印を押しましたよ。
「何々‥ ここでいいの? ここに押せばいいの? ハイハイ‥ ハァ~、ポンッ!」
ってな感じです。


夏は、最後になってようやく惜しまれる‥
ということで
ここのところ、映画をよく観てました。

とは言っても、過去に観たものをリバイバル鑑賞しているだけなので
目新しいものは何一つとして観ていませんが‥
勿論!DVDです。

あぁ、えぇーと、今回は芸術の話を書きます。

秋だからとかじゃなく‥
だって “芸術” っていつでもそこら辺に転がってるじゃないですか。

でもまあ、一応タイトルは‥

『シリーズ藝術の秋① 映画編』

この夏に20本くらい観ましたでしょうか‥
あ、やばい‥なんか‥何を観たのかパッと頭に出て来ないなぁ‥
ジャック・ニコルソンのを数本‥
あ、ジャクニコですね。(ジャクニコ強食みたいでやんの!)
“ファイブ・イージー・ピーセズ” と “イージー・ライダー” と “チャイナタウン”

思えば‥ジャクニコの映画ってけっこうな本数観てます。
特に好きな俳優というわけでもないですけど。
良い映画ばかりです。
“さらば冬のかもめ” とか、 “カッコーの巣の上で”とか。
でも、一番は “ファイブ・イージー・ピーセズ” です。

なぜこの映画を最近になってまた観たのかといいますと、もうかれこれ一年くらい
ある友人に「良い映画だから観た方がいい」と言い続け‥
あ、ヨーピンですけどね‥友人というのは。
生返事ばかりで、ちっともレンタルしないもんだから‥
ついに僕が購入してしまっっというわけです。
価格も1000円だったんで全然かまわないんですけど。

物語を簡単に説明しますと‥
良いとこのボンボンだったジャクニコがドロップアウトして気ままに暮らしていたら
父親がもうあまり長くないと姉に知らされ、じゃぁってんで、ほぼ勘当状態だった実家に
帰ろっかなってえと、あまり育ちの良くない恋人が「アタイも連れてって!」って言い出しちまったもんだから「ムキーッ」ってなりながらも連れて帰ってみたものの‥
親父ふくめた家族全員は立派な音楽家だし‥
同居してる兄貴のフィアンセが「たまんねぇな」って感じで‥
なんかそういうことになっちゃうし‥みたいな映画です。

タイトルの Five Easy Piece とは
直訳すると “5曲の易しい楽曲” となり、ピアノを習いたての頃に弾く練習曲
といった意味です。
♪猫ふんじゃった のようなものですね。

主人公のジャクニコは、いつまでも大人になりきれず、こんな易しい曲すら
弾くこともままならない‥といった解釈でしょうか。

育ちの悪い恋人と暮らしているシーンでは、カントリーが流れ、それはレコードだったりその恋人が口ずさんだり、実家のシーンではクラシックが流れたりして‥
映像も音楽もなかなか素敵な映画です。

兄貴のフィアンセ役のスーザン・アンスパッチという女優がいい感じです。
髪型とか‥着てる服とか‥
上手く言えませんが “ヤンフォ的” なんですね‥この人が。

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スーザン・アンスパッチ

それともう一人。
カレン・ブラックという女優さんも、じつにヤンフォ的で良いです。
こちらは育ちの悪い恋人役です。
この “カレブラ” は(誰もそんなふうに呼んでないと思いますが‥)
わりと有名なのでご存知の方も多いことでしょう。
“イージー・ライダー” や、先日エッちゃんがこのブログで書いていた “ナッシュビル”
にも出演しています。
日本の女優さんでいうと、伊佐山ひろ子といったところでしょうか。


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前席左がカレン・ブラック

では、ついでに映画ナッシュビルの話しをチラッと‥

このカレン・ブラックは(略すほうが面倒くさいので‥ふつうに‥します‥チェッ!)
なかなかの 才女で、カントリー・シンガーを演じたナッシュビルでは
自作の曲を2曲歌い、またレコーディングもしています。
なんかすんごいですね!
ちなみにタイトルは♪Memphisと♪Rolling Stone

これは監督のロバート・アルトマンの狙いで、“良い曲”と“まずい曲” とを半々にしたかった
とのこと。
曲のほうは狙い通りのいなたさで、あてずっぽうなのか計算なのか‥アルトマンの演出は
終始、リアリズムと日常の模写との境界線を行ったり来たり‥

ラストのシーンで、バーバラ・ハリスという女優によって歌われる♪It don't worry me
という、実に示唆に富んだ歌が素晴らしい。

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右バーバラ・ハリス

「心安らかに暮らせないなら 人生は無意味よ 手元に残るのは ハエたたきのような不要な物ばかり」
この歌詞が、なぜか泣かせます。

ロバート・アルトマンという監督は、リアリズムに徹底的にこだわった演出をすることで
知られていますが、やはりそこは物語ですので
何かしらの “アヤ” がないと映画も成立しませんし、観ているほうの心にも響きません。

このラスト・シーンでは、人気の女性カントリー歌手が、突如ストーカーのような男に
銃で撃たれてしまいます。
このコンサートは大統領選挙の応援キャンペーンとして行われていたため
地元基盤の重要な鍵を握る、カントリー界の大御所がその場を鎮め、落ち着かせようと
マイクを取って「皆さん、落ち着いて下さい!ナッシュビルは安全な街です」
と言い、さらに「誰か歌を‥皆さん歌いましょう‥ 誰か‥とにかく歌を!」と相当に
取り乱します。
そのドサクサの中、ただの主婦だったけれども、なんとなく長年の夢を叶えたくて
着の身着のままでナッシュビルにやって来たバーバラ・ハリスがフラフラ~っと
マイクを取って歌い始めます。

曲の進行とともに、徐々に落ち着いて行く会場は、音楽によって “普段” を取り戻し
ゴスペルの聖歌隊も、カントリーのバック・バンドも、または聴衆も
♪It don't worry meと歌いながら一つになっていきます。

そこでバーバラ・ハリス演じる素人歌手が、自分の心の底にあった想いを、ゆっくりと語るように
アドリブを入れていきます。

「心安らかに暮らせないなら 人生は無意味よ 手元に残るのは ハエたたきのような不要な物ばかり 違うかしら? 」

「自由じゃないって言われても 私は気にしない そうよ 何も気にしないわ お墓に無用なものだけが残ってしまう それでいいの?」

それでは、その歌をお聴き下さい。


これまた、女優さんにしてこの歌唱力。



つづいて、ピーター・ボグダノビッチ監督のペーパー・ムーンもヤンフォ・テイストにあふれた
映画です。
小学校5年の時以来、久しぶりに観ました。

テイタム・オニールがあんまり可愛いんで‥一日中観ていたいです。

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1935年の流行歌♪It's only a Paper Moonからこの映画のタイトルがとられました。

冒頭に流れるこの歌を聴くだけでも、じゅうぶんに価値のある作品です。

♪ほら、それはただのペーパームーン 厚紙の海を動いていく
 でもあなたが私を信じたら それはもう作り物じゃない

アメリカってやつぁ‥
こんな良い歌を80年近くも口ずさんできたんですね。
ママがオーブンでパイとか焼きながら‥

うちなんかアジの干物と♪青い山脈だったしなぁ‥

ライアン・オニールとテイタム・オニール
この実の親子が、映画では偽の親子を演じています。

死んでしまった恋人の娘テイタム・オニールを、遠くミズーリの親戚の家まで送っていくハメになった
詐欺師のライアン・オニール。
少し生意気だけど頭のキレるアディ(テイタム・オニール)と組めば
詐欺の成果も上場で、厳しい大恐慌時代を生き抜くにはうってつけのパートナーになるのだが‥

やがてやって来る別れの時
無事にアディを叔母の家まで届けてはみたものの‥

信じさえすれば、血のつながっていない親子だって本当の親子になれるのかな‥

‥のような映画です。
全編モノクロですが、故にぬけるような青空は美しい。

モノクロの映画や写真というのは、観る側に感じさせたり、想像させたりする
“余地” を与えてくれます。

表現手段としての歌というのは、それ以外の何ものでもありません。
だからメロディーは “表情” であり、詩は “詞” になり。
誰の心にも入って行けるのです。

3、4日前の晩、空には煌々と満月が浮かんでいました。
それはそれはきれいでした。
皆さんもそうだと思いますが、ついつい目を留めます。
富士山や満月は、いつ見ても良いものです。
情緒があって、日本人は昔から好んできました。
ただ‥
“詩的さ” には欠けます。
僕は満月に少し足りない月のほうが詩的で好きです。
なぜか。
その足りない部分には心が見えるからです。

大袈裟だと思いますか?

ところがどっこい事実です。

「詩人とは 病んだ仕事に他ならない 誰の心にもあることを 恥じずに表現する者なのだ」

続きは割愛しますが、ジャン・コクトーの言葉です。
メモして、目の前のコルクボードにずっと貼ってあります。

ちょっと話しはそれましたが、余地は大事だなって話です。


さぁて、、、あと何を観たっけかなぁ‥

“狼たちの午後” とか‥
ルイ・アームストロングが出てた “ニューオリンズ” も良かったなぁ‥

この “ニューオリンズ” って映画‥
わざわざ新宿のTSUTAYA(めんどくさいなー“TSUTAYA”の表記‥)まで言って
VHSのを借りて来て、それで、すごく音楽も良かったから、うちのBlue-rayのハードディスクに
落として(当然、録画はオンタイムだから映画の時間分!)そんでまた、それをディスクに焼いて
エッちゃんにプレゼントしたのに、その3日後くらいに近所の本屋でウロウロしてたら
変なクルクル回せるハリガネみたいのでできた販売用のDVDの白いラックの中にスポって‥
スポって入ってて、「あれぇ‥」って手に取ってみたら中古でもなんでもないのに
「¥500」って書いてあって、思わず「ズコーッ!」って‥
「ズコーッ!」って‥

だから‥
「ズコーッ!」って‥                「ズコーッ‥」




その他いろいろ観たんです。
この夏!
いっつも何かしら観てるけど!

キリがないのでこの辺で。

とまれ “藝術の秋” です。
いろいろと、見たり読んだり食べたりしましょ!

あ、なんだか知んないけど今、一句浮かびました!

「泉アキ 竹城みちる 散る青葉」(レベル高! 高すぎて自分でもどう解釈していいかわかんないもん!)


さっき‥棚の上においてあるPEANUTSのルーシーの人形見てたら、カツラ被ったチャーリー・ブラウンに
見えてしかたなくなってきたでやんの!
でお馴染みのヨシオでしたん。

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↑ ねっ!

















2011-10-14 : 小林ヨシオblog : コメント : 3 : トラックバック : 0
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プロフィール

The Young Folks

Author:The Young Folks
FOLK ROCK.COUNTRY BAND。Bob Dylan、The Byrds、The Lovin' Spoonful、PP&M、Eagles、The Band etc.カバーセッションを経て現在はオリジナル曲中心にステージ構成。時にエレクトリック、時にアコースティックとフレキシブルに活動中!

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