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ジョニーが少し笑った日 

あーあ、すっかり秋ですね。
いやだな。

というわけで!

すんげー、すんげー、久しぶりにこれ書いてますが‥
みなさんお元気ですか!

お元気ですね!
お変わり‥ ありませんね!

僕ら、相変わらず元気です。
ヤンフォは只今!レコーディングに向けてやんややんやの提灯で頑張っております!


まぁ、夏でしたね、この間までは。

いやんなるくらい散らかった部屋で、オリンピックを観たり
高校野球を観たり、池中弦太80kmを観たりして‥
この夏も泣いたり笑ったりしてるうちに、あっという間に終っちまいました!

そんで秋。
ヒュルルルル〜って感じで秋です。

と、言いつつも、今年の夏はいろいろと‥ まぁ、いろいろとありました。
心に留め置かなければならないことや、記憶に留めなければいけないこと

そして、このページに書きとめなければならないことが二つ、三つとありました。

ので‥書きます。

どうぞ、読んでみて下さいね!


 ■チャーリー&ザ・スリー・クール・キャッツ

最近、ヤングフォークスの活動をしつつも、お手伝いというか、客演というか
チャーリー&ザ・スリー・クール・キャッツというバンドで少しばかりベースを弾いていました。

マージー・ビート・バンドでベースを弾くわけですから‥
ポォオですねポォオ。

え? “ポォオ”ってなんだよ? って?
“ポォオ”っつったら、ポォオ・マッカァンニィでしょーよ!元ビィロォの!

え?
なんでそんな変な言い方をしているんだい? って?

そりゃー、さっきまで読んでいた今年出版されたばかりのビートルズ本に
「週刊誌のグラヴュア」って文字を発見したからさ!
この本を書いた人‥名前は伏せるけど
終始こんな感じでさぁ‥
カップリングは「カプリング」だし ベテランは「ヴェテラン」だし
 ハハハッ! って笑っちゃいました。

この人‥ ふだんは会社かなんかでこんな感じなんでしょうね。
昨日の夜は「カリー」食べたから、ランチは「ピッツァ」にしようか
それとも洋食屋で「ハンブルグ」にする?マックで簡単に「ハンブルガー」で済ますってのもいいし。

‥‥‥‥‥‥‥、、、

じゃあなんですかい?
ふだん何かで“グラビア・アイドル”って言わなきゃなんない時は、あなた「グラヴュア・アイロォ」
とかって言うんですかい?

って話しです‥

で!

チャーリー&ザ・スリー・クール・キャッツです。

チャーリーさんは、まぁ‥言うまでもなく元ザ・ファントムギフトのチャーリー森田さんです。
ヤンフォのメンバー、純君とはチャーリー&ザ・ホット・ホイールズというバンドもやっていました。

チャーリーさんと出会ったのは86年ですから‥ 
ヒェー!!!なんとかれこれ26年になるんですね!

なんだよ26年って‥ 
ダルビッシュの年齢じゃん! リア・ディゾンの年齢じゃん!
よく知んないけど‥バスケの選手‥マルティナス・アンドリウスケヴィシウス生まれてんじゃん!
本当‥よく知んないけどサッカー選手のギー・エンディ・アセンベも生まれてんじゃん!86年!
お煎餅じゃないよ!
すげーな!86年!
流行語大賞の特別部門は岡本太郎の「バクハツだ!」と「なんだかわからない」だって!
“バクハツだ!”はそれなりに流行ったと思うけど‥ なんだよ!“なんだかわからない”って!
本当‥なんだかわからないよ!
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チャーリーさん お洒落なバーじゃないですよ!Charlie's Roomですよ!

とにかく、そんな長いお付き合いをさせてもらってます‥チャーリーさんとは。

で、その“チャーリー&ザ・スリー・クール・キャッツ”は他に
G,Voのマーシーと、Gのトニーと、Bのスパイダーと3人のメンバーがいるのですが
今回、そのベース担当のスパイダーが仕事の都合でしばらくの間ライブ活動が出来なくなり‥
おそらく‥ 会社の企業秘密を漏洩して‥ 上司に「スパイダー!お前はスパイだ!」
「スパイダーはスパイだ!」
「スパイダーはスパイだから‥このプロジェクトはスッパイ(失敗)だー!」

って‥言われたかどうかは知らないんですけど、僕がちょっぴり代役を努めることになりました。
音楽も大事だけど‥ やっぱ仕事が大事です!

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左からトニー、スパイダー、チャーリー

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マーシー
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ついでに‥

ま、そんなわけで先日8月4日にはライブをやりました。
場所は東大和の“COO空”

この日はジョニー大倉さんの前座でした。(ここはあえて敬称・以下は省略)
なんか‥ いいですね、前座。
オープニング・アクトじゃなく “前座”
僕にとっては人生で二度目かな‥ミルクシェイクス以来。

ジョニー大倉のプロフィールは省きますが、いわずもがななんで‥
まぁ、キャロルです。
キャロルではほとんどの歌詞をジョニーが書いていましたから
その歌のイメージ世界やバンド自体の心の部分は彼が作り上げたものです。

キャロルをよく知らないという人もいるでしょうから
ここでは少し、そのジョニーが成しとげた事と功績について書いてみましょう。

あ、またまた長くなりそうですが‥


 ■ジョニーの功績とキャロル・デビュー40周年に思う事(長文不悪!)

というのも、僕が何かについて書こうとする時
物事の上っ面をさらりと語る‥っていうのがどうにも馴染めないんです。
何かこう‥突きつめたいんですね‥とことんまで。

ん‥? “突きつめたい” うんうん‥ ♪突きつめたい 
“♪抱きしめたい”みたいでカッコイイですね。

I WANT TO HOLD YOUR TSUKITSUME ←すんません雑で!

これはほとんど作家の猪瀬直樹(現・東京都副知事)と、坪内祐三からの影響です。
よく読みましたから、この両氏の書いたものを。

現在から遡っても、せいぜい100年くらい前までに起こった出来事や週刊誌的な卑俗な事象
または、文学に関するものまでと、様々なテーマでの評論作品を上梓してきた両氏ですが
共通していえるのは、テーマに対する時代背景への徹底的な“洗い出し”が展開されることです。

そこから現在を読み解いていくわけですが、この“洗い出し”が重要で、作品に娯楽性や信憑性を
与えているのは実はこの部分なのです。
それはまるで、ベテラン(べ! ヴェ→×)の刑事が「捜査の基本は“足”だ!」とでも言うかの如く
一つ一つ丹念に聞き込み調査をするかの如く、疑問を解き明かしていくからです。

読んでいる読者もまた、そのベテラン刑事の後をくっついて行く新米刑事になったような心持ちで
その様を見て(読んで)いくのです。

そうして、その考察に引き込まれたり、時にトキメいたりしながら、気付くと読者はそのテーマの実態を
より“リアリティー”をもって“知る”こととなるのです。

例えば、これから僕が書こうとしているジョニー大倉やキャロルのことについても
坪内祐三は“一九七二〜「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」(文藝春秋)”という
雑誌“諸君!”に連載されていた長編評論(著者はそう呼んでいる)の中で取り上げています。

僕がこの本を読んだのは、文庫本化された2006年でしたが
ふと、「確か‥キャロルについての鋭い考察が書かれていたよな‥」と思い出し
今一度、読み直してみました。

やはり、切り口が音楽系の雑誌や書籍とは違い、その手のライターではとうてい行き当たらない
角度からの“洗い出し”が見事で、先にも書いたように、ふたたび僕はその実態(キャロルについて)
を、リアリティーをもって再確認することができました。

この後“一九七二”からの説も引いていくことになりますが、この本は相当に面白いですから
ここに、その目次から主な見出しを挙げてみます。
各チャプターは、雑誌連載時の回数を表しています。

第1回  なぜこの年なのか
第2回  ポルノ解禁前夜
第5回  連合赤軍事件と性意識
第9回  遠山美枝子のしていた指輪 
     ※遠山美枝子とは山岳ベース事件で総括(リンチ殺人)された赤軍派から連合赤軍となったメンバー
第11回 南沙織が紅白に出場した夜に
第18回 「あさま山荘」の制圧とCCRの来日コンサート
第19回 箱根アフロディーテとフジ・ロック・フェスの間に
第20回 雷雨の後楽園球場でのグランド・ファンク・レイルロード
第21回 「はっぴいえんど」の松本隆のいら立ち
第22回 頭脳警察の「うた」を必要とした若者たち
第23回 キャロルとロキシー・ミュージックが交差した瞬間
第24回 若者音楽がビッグビジネスとなって行く
第25回 ローリング・ストーンズの「幻の初来日」
第28回 金曜日夜八時の「日本プロレス」中継終了と『太陽に吠えろ!』の放送開始
第29回 『ぴあ』の創刊と情報誌的世界の登場
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一九七二 (文春文庫)

どうですかね‥
なんか感じ‥つかめましたかね‥

キャロルを正確に捉えようとするならば、このデビューの頃の所謂“空気”をまず感じなければ
ならないということは、今書いてきた通りです。
この坪内祐三の“一九七二”を紹介している意図とはまさにそのためで
“空気”を感じるためには最良のテキストとなっています。

第2回の“ポルノ解禁前夜”で読み取れる、この頃の“低俗”や“下世話”または“貞操観念”
などのイメージは、キャロルの中にしっかりとあるし(あったと言ったほうが正しいかもしれない)
第5回の“連合赤軍事件と性意識”から数回に渡って評されていくこの事件、ようは長野県軽井沢で起きた
あさま山荘の篭城戦へとつながっていくこの事件の映像は“1972年”と言った瞬間に多くの人の脳裏に
自然と映し出される“風景”ともなっている。

例えば去年の大震災や、2001年にアメリカで起きた9・11同時多発テロのような大きな出来事は
起きてからしばらくの間は世間や人々の心の奥底に薄らと停滞し続けるものです。

キャロルがデビューした“頃”とは、このあさま山荘の事件が、まだ記憶とも呼べないくらい
「ついこないだ」のことであり、日本に初めてパンダがやって来て上野動物園は連日大騒ぎの最中であり
この年いよいよ本土復帰となった沖縄県出身の歌手、南沙織が時代のアイドルであり
子供たちには仮面ライダースナックが大人気で、おまけのカード目当ての子供がお菓子を食べずに捨ててしまう
といったことが社会問題になり、冬期オリンピックが札幌で開催された年であり、テレビドラマ“太陽に吠えろ!”の放送が始まった年であり、川端康成がガス管をくわえて自殺した年であり、巷に流れていた歌は
よしだたくろう♪結婚しようよ 旅の宿 小柳ルミ子♪瀬戸の花嫁 ぴんからトリオ♪女のみち 
天地真理♪ひとりじゃないの 郷ひろみ♪男の子女の子 山本リンダ♪どうにもとまらない 
青い三角定規♪太陽がくれた季節 平田隆夫とセルスターズ♪ハチのムサシは死んだのさ 三善英史♪雨 
麻丘めぐみ♪めばえ 奥村チヨ♪終着駅  アンディ・ウィリアムス♪ゴッド・ファーザー・愛のテーマ
カーペンターズ♪スーパースター レコード大賞は、ちあきなおみの♪喝采が大賞を受賞した年なのです。

ロックはといえば‥まだまだ巷では聴こえてきません。
日本では“ニュー・ロック”と呼ばれるものが1969年くらいから登場してきますが
これはごく一部のファン層に支持されていたもので“大衆”の中に“ロック”というものが
認識されていくのは、これよりもだいぶ後になります。

著者は、高度経済成長期の大きな文化変動(なんとロマンチックで魅惑的な言葉だろう!)
の“はじまり”が1964年、そしてそのピークが1968年、そしてその“おわり”が1972年
だと提起しています。

キャロルがシングル ♪ルイジアンナ/最後の恋人 でデビューしたのが1972年の12月。
この本は1972年が“どんな”年であり、そして、どんな“空気”だったのかを多角的に
捉えようと試みています。
ですから、“キャロル登場”がどんなであったのかを、時代性の中から眺めることができるわけです。
そして今年がその40周年にあたります。

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左から ジョニー大倉 内海利勝 矢沢永吉 背中を向けているのはジョニー大倉の著書「キャロル夜明け前」によればキャロル最初期のメンバー今井某氏


矢沢永吉もジョニー大倉も共にデビュー40周年を迎えた今年、さまざまなメディア上で取り上げられ
その“物語り”を自ら語っているのを目にします。

その物語りを聞いたり読んだりするたびに、僕はそのことを本当に嬉しく思い、この40周年のお祝いムードに
ほっと胸を撫で下ろしています。

というのも、キャロルはまだまだ人気絶頂だった1975年に、人間関係のもつれから
突然解散してしまいました。
活動期間は僅か2年と4ヶ月。

その後、ソロ・アーティストとなった矢沢永吉が1978年に「成りあがり」という自叙伝を出版し
100万部を越えるベストセラーとなりました。
この本にキャロル解散の経緯が赤裸々に、そして、かなり感情的に書かれていたことによって
その人間関係の“もつれ”の部分は周知のこととなってしまったわけです。

ですから、元メンバーのジョニーやエーちゃんが、今こうしてキャロルを
“穏やかに”語っているのを見ていると、まだまだ少しハラハラしながらではあっても
こちらとしては、やはり嬉しくなってしまうのです。

そして、この40周年の今年8月、先にも書きましたがチャーリーさんたちとの縁によって
僕は初めてジョニー大倉本人を目の当たりにする機会を得ました。

そんなことから、自分の裡にあるキャロルへの思いやなんかについて書いてみようと思ったわけです‥

僕が最初にバンドを始めたのは中学3年、14歳の頃でした。1980年です。
キャロル解散からはすでに5年経っていましたが、やっぱりというか‥
もちろん!というか‥キャロルのコピーバンドをやっていました。

そのバンドで最初にコピーした曲はビートルズの♪デイトリッパーでした。
おそらく‥ イントロから単音のリフばっかりなので「これならいけそうだ‥」と
全員が音楽初心者だったメンバーは安易に考えたのでしょう。

そして次に挑戦したのがチャック・ベリーの♪ジョニー・B・グッドでした。
こう書いてしまうと、すごくまともな印象になりますが、♪デイトリッパーは相当にメチャクチャなアレンジで
ドラムは曲中ずーっと、両手でタムタムを叩いてました。
「ドコドコドコドコ、ドコドコドコドコ」ってずーっとです。
まぁ‥ そのドラマーは僕なんですけどね!
ドラムの基本である8ビートも知らないでやってましたから‥

タカオもメンバーでしたが、もうやる楽器がすべて埋まっていましたので仕方なくタンバリンを
「チキチキチキチキ、チキチキチキチキ」って、ずーっと振ってました曲中ずーっと。
今思えば、タンバリン担当のメンバーがいるって、まるでGSみたいですが‥なんか少し怖い感じもします。

このバンドの練習場所を提供してくれていたのが、家が新聞の専売所を営んでいた同級生で
そいつにも何か楽器をやらせようってことで、ある日曜日にみんなで新宿までキーボードを買いに行きました。
もちろんそいつはピアノもオルガンも弾けません。
で、時代はニュー・ウェイブやテクノ・ポップ華やかなりし頃です‥
なんの迷いもなく“シンセサイザー”を買いました。
15万くらいしたでしょうか。
もう全員、気分は高揚したまま帰ってきました。いつもの練習場、そいつの家のビルの地下室へ。
さっそくアンプに繋いでみますと‥
「ブブブブブ」とか、「ビィヨイ〜ン」とか、「ピッコ!ピッコ!ピッコ!ピッコ!」
しか鳴りません。
そうなんです、シンセサイザーはいわゆる「♪ド、レ、ミ、ファ‥」が出ないのです。
♪ド、レ、ミ、ファ‥が出るキーボードに繋いでなんぼ‥の楽器なんですね。
仕方ないから強引にやってました、トンチンカンな音で、単音で、
やっぱり♪デイトリッパーの曲中ずーっと‥「プーッ、プーッ、プーッ、プーッ、」
ボーカルはその年の夏に突然デビュー(不良になる)したヤンキーです‥ 
当時は“ツッパリ”って言ってましたが‥
もう巻き舌で「♪ガラグリィズン!テーキンズィイーズィウェアウナウ!」
で、タカオが「チキチキチキチキ!」
僕が「ドカバカドカバカ!(導入のロール)ドコドコドコドコ、ドコドコドコドコ」
でもって新聞屋の倅、15万のシンセで「プーッ、プーッ、プーッ、プーッ、」
こんなアヴァンギャルド!意図してなんて絶対出来ません!
ビートルズ!ゴメンナサイ!って感じです。

で、2曲目のレパートリー♪ジョニー・B・グッドです。
無謀にも歌詞を勝手につけてやってました。日本語で。
バンドの名前が“ミルキーウェイ”って名前でした。(これ書くの‥すごくためらいましたが‥)
一番からメンバーのパーソナルを一人ずつ歌い込んでいくってパターンですね。
で、サビの「Go!Go! Go!Johnny! Go! Go!」は‥ 勘のいい方はお分かりかと思いますが‥
そうです、「We are! We are! Milky Way!」って歌うんです。というより‥ ツッパリなんで
「ウィーアー!ウィーアー!ミルゥキウェイ!」って感じですかね‥ ルのとこ巻き舌で
もちろん!サビは全員で大合唱です。
この歌の歌詞でなんと言っても白眉なのが終わり、ドンケツですね。
チャック・ベリーだと「〜Johnny・B・Good」って終わるとこ‥
「We are! We are! Milky Way!」って何回か来といて、最後‥
「オレたちミルキウェイ!」って突き放して終わりでした。
多分‥ 突然デビューのボーカルは‥ 拳‥突き上げてたと思います。

そんなんで、やんややんやでちょうちんで毎日が過ぎていましたがある日‥
一つ上の先輩たちがこのバンドの噂を聞きつけて練習を見に来るってことになりました。

そうです、イカリさんです、ストライクスの。
イカちゃんのバンドのメンバーは、みな不良ですから‥ちゃあんと中学入学と同時にデビューした
人たちばかりですから、ミルキーウェイ一同、みな緊張して待っていると、地下室の天井板が
俄に開き、先輩たちがやってきました。
「なんか演奏してよ!」と言われ、
「ヘイ!」ってんで「♪ガラグリィズン!チキチキ、ドコドコ、プーッ!プーッ!」
お粗末さまでした。

そしたらイカちゃんだか、他の先輩だかが「お前らなんでそんなむずかしい曲やんの?」
「キャロルやれよ!簡単だから」とかなんとか。

そんなこんなで、それからはキャロルのコピーが解散(中学卒業)まで続きました。
まず、♪ファンキー・モンキー・ベイビー
とくれば次は♪ルイジアンナ、そして♪やりきれない気持ち
このあたりまでやって、確か‥♪涙のテディー・ボーイをやろうとしたところで活動しなくなりました。
中学卒業を間近に控えたある日曜日、この地下室で一人、キャロルのバンド・スコアーを見ながら
♪涙のテディー・ボーイのドラムパターンを練習した記憶があります。
当時のバンドスコアーはけっこういい加減でしたから、「ドン、タ ドンド、タ」ってリズムパターンを
譜面では「ドン、タ ドドド、タ」ってバスドラムを3発踏むように書いてありました。
今思えば、ちょっとあり得ないパターンなんですけど‥
なんせ音楽的に無知でしたから、しばらくはこのパターンで練習してました。
あれはなんだったんだろう。

今ここに書いてきた、いわゆる“バンド始めた物語り”は、僕ら世代では全国どこへ行っても
わりとそこらじゅうに落ちている話しです。
この頃にバンドを始めた世代の典型的なパターンの一つです。
地元の先輩から後輩へと引き継がれて行く“キャロル・バンド”のバトンリレー。

これは特に、ふだん趣味として聴いている音楽のジャンルとは関係ありませんでしたから
フォークが好きな少し暗めの少年も、ディスコ・サウンドが好きなヤツも、アメリカン・ロックが好きな
シティー・ボーイ予備軍も、とりあえずバンドを始めようとした場合、まずハードロック・コースか
ロックンロール・コースかのどちらかを選ぶといった、一つのシステム、または通過儀礼の
ようなものでした。

僕はこの頃、聴くほうでは、いわゆるオールディーズ、アメグラ、ドゥーワップ一色でしたが
キャロルを同じロックンロールとしては捉えられませんでした。
僕の耳には、あまりにも“にっぽん的”で、すごく度ギツくて、不良の象徴で
矢沢永吉が昔やってたバンドといったくらいの印象でしたでしょうか。

とはいえ、僕も含め、初めてバンドをやろうとする多くの少年たちにとって
キャロルは実に手頃で、役割分担も明確であり、なんとなく形になるまでに
あまり時間や練習を要さないフォーマットだったのです。

ビートルズをやろうとすれば、まず英語の歌詞を覚えなければならないですし
ハードロックをやろうとすればギタリストはかなりの量の練習を積まなければなりません
こういった問題がキャロルにはまったくありませんでした。

キャロルが解散してから、5年後に14歳の子供が曲をコピーする。
そしてその少年は洋楽一辺倒しか聴かなかったのに、そのうちに日本語の歌を作るようになる。
もうリアルタイムではないバンドがカルチャーの表層には見えないところで静かに生きつづけ
その種はある日突然、まったく知らない場所で萌芽する。
考えてみれば、日本のアーティストのLPを買ったのはキャロルが初めてだったでしょうか‥
あ、その前にプラスチックスを買っていたので、2枚目です。

僕が音楽を自分でやろうとする過程で、キャロルが示した道標は、例えば少年期のジョン・レノンにとっての
※スキッフルのようなものと言えるかもしれません。 ※1950年代中頃、イギリスで大流行した簡単な楽器で演奏出来るトラッド・ジャズのようなヒルビリーのような音楽

中学を卒業した後も、僕はまた別のバンドを作りました。
今度はビートルズや50年代のロックンロールもレパートリーに入れていましたが
相変わらずキャロルの曲もやっていました。
そのバンドではもうドラマーではなく、ギターを弾きながら歌うようにもなりました。

ちなみに当時、僕が歌っていたキャロルのナンバーは
♪ファンキー・モンキー・ベイビー ♪ルイジアンナ ♪やりきれない気持ち ♪ラスト・チャンス
♪夏の終わり ♪涙のテディー・ボーイ ♪ヘイ・タクシー ♪彼女は彼のもの
我ながら‥ すげぇな!

それにベーシスト(ヨーピン)が♪変わり得ぬ愛 たまにドラマーが♪彼女は彼のもの
を歌っていました。

この♪変わり得ぬ愛
キャロルが最後にリリースしたシングル♪ラスト・チャンス のB面の曲。
ふと口ずさんでみれば、とっても良い歌詞です。

今夜も一人で 想いにふけるよ
時がすべてを変える 消えた恋
君は変わりすぎた 届かない
昔のように 甘い恋を
許されるなら 夢見たい

これは解散に向っていくキャロルへ、はっきり言ってしまえばエーちゃんに向けられた言葉
なのでしょう。
こんな思いがありながら、ジョニーはエーちゃんの「あと1、2年は頑張ろう」という言葉を
袖にしてしまう。

思えば、ジョニーの心はいつでも相反する二つの想いがぶつかり合って精神を休める時を知らない。
そして、その二つの想いは消耗の後、悉く、あえて言えば、悪いほうへ、破滅しそうな方へと傾いていく。

キャロルを結成する時もエーちゃんが出したメンバー募集の張り紙を見て
自ら連絡したにもかかわらず、参加することを一度躊躇している。

その時の経緯をあえてエーちゃんの“成りあがり”から引いてみれば

『ところが、鎌倉で、ジョニーがハッキリしないわけよ。のらりくらり。鬱病が始まってたわけよ。
ドロップしてたの。スリク(薬)かなんかの鬱病だよ、アレ。そうこうして帰った。
あとでウッちゃん(内海利勝)と、「あいつ、ハッキリしないな」「うん、しないね。でもサ、何かいいみたいじゃない。やろうよ」って話をした。 それから、一か月、ピタッとジョニーから連絡がこなかった。
電話番号も聞いとくの忘れてたしね。その間、あいつ病院入ってたでしょう。大問題起こしちゃって、カミソリでワオッとやっちゃって手首かなんか。』※文中( )ヨシオ

このエーちゃんの言葉の「あいつ病院入ってたでしょう」の“でしょう”は、聞き手である※糸井重里も
その事を少なからず知っている、そしてそれは、その向うにいる世間やファンも、まったく知らない事ではないことを暗に示している。
※“成りあがり”は口述筆記形式で綴られた矢沢永吉の自著伝で、そのインタビューとライターを糸井重里が担当した。

そして、この時の事情をジョニーの著書“キャロル夜明け前(青志社刊)”から一文だけ引いてみれば。

『それでぼくは、発作的にみずからの手首を切った』

ここでジョニーの言う「それで」は、活動できなくなっていた自分のバンド“ジュリア”をなんとか復活させたいという思いを断ち切れないでいたことや、張り紙への連絡後、エーちゃんと喫茶店で会いはしたものの、その押しの強さに圧倒されていたこと、そして、この時期に現在の奥さんである“マリちゃん”と交際を始め、半同棲生活になり、そのマリちゃんが妊娠したことによって精神が混乱し、結果『何をどうすればいいのか、方向性をまったく見失ってしまったのだ』という事情を告白した後につづく「それで」だ。

ジョニーの屈折した心がひき起す、こうした“奇行”は、いわゆる“ロック的”な解釈として
理解しようとしたすれば、世間やファンにとっては多少の“カッコ良さ”すら伴って
例えば、セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスがベースギターで客の頭をブン殴ったとか
ミック・ジャガーが大麻を不法所持していたことなどと同列に片付けられてしまいがちです。

僕がキャロルのコピー・バンドをやっていた1982年頃、バンドのメンバーたちと回し読みしていた
“暴力青春”という本がありました。
キャロルが解散した1975年に出版されたキャロル唯一の公式書籍で、4人のメンバーが思い思いに
好きな事を書いた、ちょっとしたキャロル・ヒストリーのような内容のものでした。
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暴力青春 キャロル・最後の言葉 KKベストセラーズ刊

その中に“ジョニー疾走事件”について書かれた箇所がありました。
これはキャロルがまさに人気絶頂にあった1973年11月から1974年2月まで
突如ジョニーが疾走してしまった事件について、ジョニー本人が、当時読んだ僕の印象では
大して悪びれる様子もなく書かれていました。

今思えば、これを読んだ時に、僕のジョニーへの“印象”は決定的なものとなりました。
それは良くいえば“繊細”で、悪くいえば“危なっかしい”
ストレートに言うなら“奇人”です。

時は経ち、2010年にジョニーは「キャロル夜明け前 第2章」という本を上梓します。
この中で、その疾走について、ジョニーは“初めて”そして“冷静に”この時の事情を
告白しています。
“暴力青春”とはうって変わって、ここではもうロック的なポーズはありません。

かなり端折って引いてみれば。

不安定な精神はドラッグを求め、心悸亢進とショック状態を起こしながらも
どうにかツアーを続け、11月、北海道の公演を終えたところで限界を迎える。
そしていったん東京に戻り、そのまま姿をくらました。

ということになります。

“暴力青春”で僕が感じたロック的なポーズもなく、なかば悔悟にあふれた告白は
ジョニーの目線に立てば、切実さをもって迫ってきます。

僕の方も冷静になってみれば、キャロル結成直前の、エーちゃんの言う「カミソリでワオッ」にしても
まだ、ジョニーはただのアマチュアのバンドマンで、パフォーマンスで出来る範疇は有に越えた
行動だということに気付きます。

“暴力青春”でのジョニーは、この疾走事件から、まだたったの1年くらいしか経っておらず
正当化こそしないものの、多少の“美化”は仕方なかったのかもしれません。

そして、この疾走事件は、一つのしこりとなって“キャロル夜明け前・第2章”を読むかぎり
キャロル解散の遠因となってしまうのです。

この“キャロル夜明け前・第2章”は、長年エーちゃんの側からしか語られて来なかった
キャロル解散の顛末を、初めてジョニー側(成りあがりによれば、エーちゃん対他の3人となっていた)
から語られたことで、ようやくこの事をフェアーに眺めることができるようになったのです。

先にも書いたように、それをエーちゃんが語っていたのは、1978年で、口実筆記であったため
わりと辛辣に書かれていました。
文面を読めば、エーちゃんの側に正当性があったにせよ、あの独特の矢沢節では、どうしても
読んでいるほうは、エーちゃんの印象を悪く捉えてしまっていたように思います。

それを補うかのように、ジョニーの書いた“キャロル夜明け前”と“キャロル夜明け前・第2章”では
この疾走を結果的には許したエーちゃんの“情”や、キャロル解散後もジョニーの母親に時おり電話を
かけて「ジョニーは大丈夫か?しっかりやってるか?」と連絡していたエピソードなどが明かされ
キャロル・ファンにとっては驚きとともに、嬉しい発見となったのではないでしょうか。

僕は、この「ジョニーは大丈夫か?」のエピソードを知るに及び、なんだかすごく
エーちゃんを好きになりました。

それにしてもジョニー‥ 
この屈折した心。
エーちゃんに負けず劣らず、決して裕福ではなかったジョニー。
在日コリアンという厳しい環境の中で生きてきたそれまでを振り返ってみても
端から見ればやっと掴んだ“成功”
その成功に至ってさえ苦悩してしまうジョニー。

この不器用さはなに故だろう。
この研ぎすまされた感性は、どうしてジョニー自身を傷つけずにいられないんだろう。

そんな漠たる思いの中、先の夏、8月4日を迎えました。

僕ら、スリー・クール・キャッツの出番を終え、汗だくの衣装のまま、僕は客席の一番後ろの
席に座りました。

バンドが先にオープニングのインストを演奏する中、ジョニーがステージへと歩いて行きます。
そして1曲目の曲を歌い出しました。
僕の知らない曲です。
「本物だ‥」とか、そんな事を思って観ていました。
1曲目が終わると、わりとリラックスした感じで、こんなことを言いました
「今さぁ、この歌の歌詞、一番大事なところ‥間違っちゃったんだよ‥」
「もう一回やってもいいかなぁ‥」
曲の後半部、少しバタついた箇所があったので、おそらくそこの歌詞が抜けたんだということは
なんとなくわかりました。
そして、もう一回。
頭からやりなおしました。
「一番大事なところ‥」って言っていましたので、どんな歌詞なのか気をつけて聞いて
いましたが、やっぱり大事な箇所でした。
最近作ったらしい、世界平和的なテーマの、でも説教くさくない歌でした。

「やっぱり言葉を大切にしているんだな」と思いました。
そのことに少し嬉しくなり、場内もいわゆる“あったまって”きましたので
僕はまだ衣装を着たまま、ジョニーを見続けていました。
曲に入る前に、ジョニーは時おり、短い小芝居のようなモノローグをしていました。

♪メンフィス・テネシーというチャック・ベリーのカバーの時はこんな具合です。
「なぁ、アメリカへ行くんだって? え、ニューヨーク? いいじゃないか」
「でもぉ、アメリカへ行くんだったら‥ やっぱりメンフィスへ行こうよ」
「あそこはロックンロールが生まれた、それは素敵な街なんだ‥」
と、こんな感じでイントロに入って行きます。

このちょっとした演出、役者としても、評価の高いジョニーですから、これで場内は
一気にジョニー・ワールドに引き込まれてしまいます。

そして、5、6曲目くらいだったでしょうか、この日最初に歌ったキャロル時代の曲。
♪涙のテディー・ボーイでした。
この曲は、キャロル・ファンなら誰でも知っていますが、エーちゃんが詞を書いた曲です。
全体の8割くらいはジョニーが作詞をしているキャロルの曲の中から、あえて自分が詞を
書いていない曲を最初に歌いました。
しかも、この曲のリード・ボーカルはエーちゃんでしたから、すごく意外に思いました。
確か、MCで、東北の震災のことに触れた後、歌いはじめました。

ここへきて、こんなこと言うのもなんですが、僕は決して熱烈なキャロル・ファンというわけでは
ありません。
僕にとってのキャロルとは、ファンというよりも、当たり前にあるもの。
うまく言えませんが、親のことをいちいち“好き”とかって思わないのと同じです。
ただ、レコードは‥ おそらく全部持っていました。

ですから、この正規のエーちゃんバージョンじゃない♪涙のテディー・ボーイを聴いていて
キャロルの曲というだけで、例えば花火に向っていう「玉屋〜!」のような気分で心の中は
「お!やってんな!ジョニー!」みたいな心持ちでした。
初めは。
すると「あれ‥」
「ん‥」
「なんだこれ‥」って感じで涙が溢れてきました。

そりゃそうです。
15歳の頃、「バンドでプロになる」って思いで歌いはじめたときの曲です。
その頃は、みんな「ビッグになる!」とかって言ってました。
バンドをやっている人たちは、おそらくジャンルを問わず、こういう言い方をしたものです。

それこそ猪瀬直樹の本(確か‥唱歌誕生 という本だったか‥)で、知人の娘さんがイギリスの大学に
留学していたおり、ある日突然、ふと淋しくなり、一人アパートで突然号泣してしまい
その時、無意識に唱歌の♪故郷を歌っていた、といった話しがありましたが、そんな感じでしょうか。

そして、そのライブを結局、着替えもしないまま見続けてしまい、というより
ジョニーを観ていたら動けなくなってしまい、自分の中のキャロルとか
自分の中のロックンロールだとか、ジョニー大倉の不器用な生き方とか
いろいろと頭の中が駆け巡り、ふと、気付きました。

今、自分が観ているものは、なんだか‥ 歌い手とか、ロックンローラーとか
元キャロルとか、そういうものとはちょっと違う、本物の何かだと。

今、自分が見ているものは、何かとてつもなく“純粋なもの”だと。

この晩、ジョニーが歌った♪やりきれない気持ち は、その歌詞、歌世界は、実は最初から
“大マジ”で歌われ、そして今も“そのまま”で歌っている。

ジョニーは、あのキャロルの歌詞を、一つの想定で書いたのではなく
それは例えば「この歌の主人公は片想いで‥ カッコつけてるけど内気で‥」といったふうに
書いたのではなく、最初から信じきって書いている。

その事を僕は、なんの根拠もなく、でも確信をもって感じました。

この不器用さはなに故か。
この研ぎすまされた感性はなぜジョニー自身を傷つけるのか。

それはジョニーがどこまでも純粋だから。

純粋なものは決して器用に世の中を渡れない。
“うまくやって”なんて発想は理解すらできない。

今、音楽の中に純粋さを見つけることは、すごくむずかしいことです。
だってこんなに傷つき、消耗してしまうから。

でも、故に本物の輝きを放つんですね。
そんなことをジョニーは教えてくれました。

チャーリーさんの粋な計らいで、僕はストライクスのCDを2枚、手渡すことができました。
こんなことしたの初めてでしたが‥
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緊張するっつぅの!

今回は結局、ジョニーが成したこと、その功績については書ききれませんでしたが
次回、書いてみます。
もう、原稿用紙で8枚くらいは書いてあるんですけどね!
キャロルについて、坪内祐三ばりに徹底的に掘り下げます。

とことん、とことん、です。

そんで、スリー・クール・キャッツでライブやった時、衣装が皮ジャンで頭の2曲くらい
サングラスして出たけど‥髪‥ロン毛だから‥長谷川きよしになっちゃったでやんのー!
でお馴染みのヨシオでした!チョーオ!

  
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2012-09-24 : 小林ヨシオblog : コメント : 3 : トラックバック : 0
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The Young Folks

Author:The Young Folks
FOLK ROCK.COUNTRY BAND。Bob Dylan、The Byrds、The Lovin' Spoonful、PP&M、Eagles、The Band etc.カバーセッションを経て現在はオリジナル曲中心にステージ構成。時にエレクトリック、時にアコースティックとフレキシブルに活動中!

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